大河ドラマ「いだてん」
河西三省(トータス松本)
大河ドラマ「いだてん」でトータス松本が演じるのが、オリンピックでの興奮を伝えるNHKアナウンサー・河西三省(かさいさんせい)。
アナウンサーは競技の様子を冷静に実況することが求められる中、この河西三省はベルリン・オリンピックで前畑秀子(上白石萌歌)のレースに大興奮し、アナウンサーの粋を超えた実況を行うことになります。
この記事では、日本中に現地の興奮を伝えた伝説の名実況?迷実況?を行った「河西三省」について簡単に紹介していきます。
河西三省(かさいさんせい、かさいみつみ)
野球実況で名を馳せた河西三省
1898年(明治31年)9月16日 に東京で生まれた河西三省は慶應義塾大学中退後、新聞社の時事新報社に入社しました。
河西三省は時事新報社で運動部の記者として勤務していましたが、甲子園で行われる全国中等学校野球大会の期間中は東京の日比谷公園に設置された試合速報掲示板「プレーヤーズ・ボールド」の解説員として、電話と球場と連絡を取りながら板上のボールを動かすなどして野球大会の様子を伝えていました。
これが好評を博し、有名になった河西三省は1927年(昭和2年)の第13回全国中等学校野球大会の決勝戦中継で東京側のスタジオ解説者に起用されました。
数々の実績を残した河西三省は1929年(昭和4年)、本格的にスポーツアナウンサーとなるため日本放送協会(NHK)に入局。
河西三省の野球中継は「河西の放送を聞けばスコアブックをつけられる」といわれるほど克明な描写だったといいます。
オリンピックでの実感放送と絶叫実況
1932年(昭和7年)のロサンゼルス・オリンピックでは、報道課長の宝田通元のもとで河西三省は同僚のアナウンサー・松内則三、島浦精二と共に日本初の海外からのスポーツ中継を行いました。
この時の放送では、アメリカの放送局(NBC)が「ラジオで実況すると入場券の売れ行きが落ちる」との理由により、実況不可能にされてしまったため、河西三省らは「実感放送」という疑似的な実況放送を行いました。
実感放送についてはこちら↓
そして4年後の1936年(昭和11年)には、河西三省は山本照と共にベルリン・オリンピックの放送を担当します。
ここで河西三省は競泳女子200m平泳ぎの決勝戦の放送を担当しますが、毎日の放送で疲労が蓄積していたこともあり、前畑秀子とゲネンゲル(ドイツ)の白熱するレース展開に冷静を失って「がんばれ!」を20回以上、「勝った!」を10回以上連呼する実況となりました。
この河西三省の絶叫中継は「応援放送で実況放送とは言えない」と批判された一方、日本中を興奮に渦に巻き込んだ伝説の実況として後世まで語り継がれていきました。
その後、現場を離れた河西三省は、NHK浜松放送局長や日本放送出版協会社長を務め、1970年(昭和45年)に死去しました。
河西三省はのちにベルリンでの絶叫実況を「放送席の近くにいた選手たちが『ガンバレ!ガンバレ!』と声援を送っていたのでつられてしまった」と言い訳しています。
実際の絶叫中継はコチラ↓
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