大河ドラマ「いだてん」
河野一郎(桐谷健太)
大河ドラマ「いだてん」で桐谷健太が演じるのが、田畑政治(阿部サダヲ)の同僚の記者 ・河野一郎。
朝日新聞社に入社した田畑政治は水泳をないがしろにして陸上の記事ばかりが大きく取り上げられる状況が気に入らず、運動部に乗り込みますが、ここで河野一郎から「陸上の方が水泳より上だから」と一喝されてしまいます。
それもそのはず、この河野一郎、かつて金栗四三を師と仰ぎ、箱根駅伝でも総合優勝を果たした男でした。
この記事では、やがて政界に進出して1964年東京オリンピックの開催に尽力する大物政治家・河野一郎について紹介します。
河野一郎
河野一郎は1898年(明治31年)に神奈川県足柄下郡豊川村の豪農・河野家に生まれた。
父親は豊川村長、郡会議員、神奈川県会議長などを歴任した人物で、一郎は幼い頃から政界と近いところにあった。
神奈川県立小田原中学校を卒業して早稲田大学政治経済学部政治学科に入学した河野一郎は、弟の謙三と共に競走部に入部。
長距離選手として活躍し、金栗四三が始めた箱根駅伝で総合優勝も果たした。
1923年(大正12年)、早稲田大学を卒業した河野一郎は朝日新聞社に入社して、校閲部で政治への関心を育んでいった。
ちなみに河野一郎が入社した1年後、大河ドラマ「いだてん」の主人公の一人・田畑政治が朝日新聞社に入社して政治記者となっている。
大河ドラマでは田畑政治の良きライバルとして切磋琢磨し、やがて報道の無力を痛感して政界へ進むこととなる。
朝日新聞社を退社した河野一郎は、1931年(昭和6年)に犬養毅内閣の山本悌二郎農林大臣の秘書官となった。
そして翌年、衆議院議員総選挙で当選し、立憲政友会に所属した。
鈴木喜三郎総裁の後継をめぐる党内抗争では、河野一郎は中島知久平に対抗して久原房之助を擁立し、政友会を正統派(久原派)と革新派(中島派)に分裂させる原因を作った。
やがて日中戦争が激化すると、河野一郎は東京オリンピックの開催返上の急先鋒として帝国議会に立った。
戦後の1945年(昭和20年)、河野一郎は旧政友会正統派の勢力を結集して鳩山一郎を総裁とする日本自由党を結党。
河野一郎は幹事長として鳩山内閣の実現のために奔走するが、翌年に鳩山へ公職追放令が下り、吉田茂が後継総裁として組閣することとなった。
吉田は旧政党人を軍部にすり寄った者とみなし、人事についても河野一郎に相談しようとしなかった。
このため、二人は生涯憎しみ合う関係になり、以降、河野一郎は反吉田派の中心となって鳩山政権樹立に向けて奔走した。
1952年(昭和27年)、吉田は鳩山派を抑えようと河野一郎を党から除名した。
これは三木武吉によって除名取り消しとなるが、1953年(昭和28年)に河野一郎は鳩山、三木らと自由党から分党。
内閣不信任案に賛成投票し、「バカヤロー解散」に繋がるきっかけを作った。
鳩山が自由党に復帰したのち、河野一郎は日本自由党を結成して改進党と合同させ、日本民主党を結成して宿敵・吉田内閣を打倒する。
1954年(昭和29年)、鳩山内閣で農林大臣に就任した河野一郎は、翌年に自由民主党の結成に参画し、党内で大派閥の河野派を形成した。
1957年(昭和32年)、岸内閣で河野一郎は党総務会長に就任したが、1959年(昭和34年)に幹事長就任を岸首相に拒否されたため、反主流派に転身した。
岸退陣後、河野一郎は大野伴睦を擁立しようとしたが、旧吉田派の池田勇人に敗れる。
しかし、大野の仲介により河野一郎は池田首相に接近して、1961年(昭和36年)に農林大臣として入閣し、翌年には建設大臣として、東京オリンピック開催に向けたインフラ整備に尽力した。
1963年(昭和38年)、河野一郎の自宅が右翼の野村秋介らに放火される事件が発生。
その日、河野一郎は名神高速道路の開通式典に出席していた。
一方、三木武夫が吉田茂の自邸に招かれると、三木は庭で吉田が笑っていた様子が見えた。
三木が「随分ご機嫌ですね?」と話しかけると、吉田は「知らんのか?今、河野の家が燃えてるんだよ!」とはしゃいでいたという。
また、吉田の周りの者も「(河野に)罰が当った」と陰口を叩いたというが、46年後の2009年3月には吉田邸が火災で焼失している。
1964年(昭和39年)、河野一郎は副総理、東京オリンピック担当の国務大臣となりオリンピックを成功に導いたが、オリンピックを政治の介入する国家的プロジェクトに変貌させたとの批判もある。
河野一郎は東京オリンピック終了後、池田総裁の後任候補の一人に名が挙がったが、結局は池田の指名で佐藤栄作が後任総裁となった。
そして佐藤内閣で河野一郎は副総理兼体育振興のスポーツ担当大臣を務めたが、1965年(昭和40年)の内閣改造では残留を拒否し、1ヶ月後に大動脈瘤破裂のため急死した。享年67。
死の直前、河野一郎は「死んでたまるか」と言ったと伝えられるが、子の洋平によると「大丈夫だ、死にはしない」と家族を安心させようとしたのだという。
【いだてん】あらすじ
【いだてん】人物・キャスト
【いだてん】関連記事