大河ドラマ【いだてん】
~東京オリムピック噺~
2019年NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」の主人公・金栗四三と共に日本初のオリンピック選手となった三島弥彦には超エリートの兄『三島弥太郎』がいました。
物語の『三島弥太郎』はスポーツばかりしている弟・弥彦に手を焼き、嘉納治五郎からは度重なる借金の相談があるなど、なかなか苦労が絶えません。
しかし、最初は反対した弥彦のオリンピック出場も、最後の最後には応援してくれる『三島弥太郎』。
この記事では、弟想いの超エリート薩摩隼人『三島弥太郎』について簡単に紹介していきます。
三島弥太郎(彌太郎)
三島弥太郎は1867年(慶応3年)は薩摩国鹿児島城下の高麗町で下級藩士・三島通庸の長男として生まれました。徳富蘆花の小説『不如帰』の登場人物、川島武夫のモデルでもある。
父は戊辰戦争で活躍し、明治新政府でも警視総監にまでなった人物でした。
鹿児島での生活は短く、三島弥太郎は7歳の時には東京神田の小川町学校入学し、13歳の時には山形県師範学校へ進んでいます。
山形師範学校卒業後、駒場農学校に入学した三島弥太郎は、抜群の成績で国費で補助される留学生としてアメリカへ。
アメリカでは西フィラデルフィア中学を経て、マサチューセッツ農科大学に入学し、農政学を学びました。
三島弥太郎はマサチューセッツ農科大学卒業後、コーネル大学大学院で害虫学を学んで修士の学位まで受けましたが、神経痛を患い帰国することとなってしまいました。
帰国後、三島弥太郎は母・和歌子の命で大山巌の娘・大山信子と結婚しましたが、信子はまもなく結核に感染したために離婚し、三島弥太郎は陸軍中将・四条隆謌の娘・四条加根子と再婚しました。
この三島家の離婚話をモデルにして、作家・徳冨蘆花が小説「不如帰(ほととぎす)」を発表すると、芝居にもなるほどのベストセラーとなってしまいます。
小説では母は極悪非道な姑として描かれたため、母だけでなく三島家は長らく世間の冷たい目で見られ、苦しむこととなりました。
そんな中でも、三島弥太郎は1897年(明治30年)に貴族院議員に当選して政界進出し、桂太郎と共に鉄道国有化を実現させます。
また、議員活動だけでなく、金融業にも深く関与して横浜正金銀行頭取にも就任しました。
1913年(大正2年)、日本銀行総裁に就任した三島弥太郎は日本の金融制度確立に尽力し、1919年(大正8年)に現職のまま急病で亡くなりました。享年52。
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