大河ドラマ【いだてん】
~東京オリムピック噺~
2019年NHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」の主人公・金栗四三(かなくりしそう)は羽田運動場で行われたストックホルム・オリンピック予選会でマラソン世界記録を出して優勝します。
しかし、この日、当時の世界記録を更新していたのは優勝していた金栗四三だけでなく2位、3位の選手も記録を上回って登いました。
その原因を引き起こしたのが、何を隠そう「天狗倶楽部」のナンバー2である『中川臨川(なかがわりんせん)』です。
この『中川臨川』のミスによって、金栗四三はオリンピック代表となり、後世まで「マラソンランナー」として歴史に名を残し、今年の大河ドラマ「いだてん」で主人公になれたといっても過言ではありません。
この記事では、簡単ではありますが金栗四三の世界記録の裏に隠された『中川臨川』の生涯について紹介していきます。
文学家・中沢臨川
天狗倶楽部のNO.2である中沢臨川(本名:中沢重雄)は、明治11年(1878年)に長野県伊那郡大草村で「養命酒」の酒造家・塩沢伊八郎の次男として生まれました。
弟には海軍大将になった塩沢幸一がいます。
明治25年(1892年)に入学した松本中学には、先輩に窪田空穂、後輩には吉江喬松が出るなど文芸熱が高い学校でした。
そして中沢臨川も中学時代から詩や小説を書き、卒業後は次第に西洋文学に傾倒していきました。
中沢臨川は明治32年(1899年)に中沢家の養子に入ると同時に結婚。
進学費用を出してもらうという条件で中川臨川は養子になったといいます。
明治34年(1901年)、上京した中川臨川は東京帝国大学工科大学へ進学し、妻・ホモも跡見女学校へ入学して夫婦で学生生活を送ります。
そして明治35年(1902年)、中沢臨川は窪田空穂・吉江喬松らとともに文芸雑誌「山比古」の創刊に加わり、論文を発表しました。
大学卒業後は東京電気鉄道会社の技師となり、その後、京浜電気鉄道会社の技師長を務めながらも文学も続けました。
中川臨川が金栗四三の世界記録を作った
ある日、酒の席で小説家・押川春浪に「公共の運動場を作って一般人にも体育を推奨したい」と相談されると、京浜電気鉄道会社の電気課長だった中川臨川は会社と相談して、使っていなかった羽田の土地を提供してもらって羽田運動場を作りました。
運営は会社が行ったが、中沢臨川は運動場を作るにあたり個人でも相当の費用を負担したという。
羽田運動場ができると押川春浪がリーダーとなった私的スポーツ団体「天狗倶楽部」などが設立され、中沢臨川も参加。
明治44年(1911年)、日本初のオリンピック予選会が羽田運動場で開催されたとき、中沢臨川はマラソンの距離測定を担当しました。
しかし、中沢臨川は実際のコースを測定せず、陸軍の地図を使って測量したために距離が大幅に短くなり、予選に出場した金栗四三ら3人が世界記録を更新するという事態を引き起こしました。
その後、親友の押川春浪が大正3年(1914年)に急死すると「天狗倶楽部」は自然消滅していき、中沢臨川は故郷の長野県で電気会社を経営する一方で、文学家として評価され執筆活動を続けました。
大正8年(1919年)頃から体調が悪化した中川臨川は、会社をたたんで東京で静養することにしましたが、大正9年(1920年)に静養の甲斐なく結核で死去しました。享年42。
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