大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」
第44話「士族たちの動乱」あらすじ
平成30年大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」第44話「士族たちの動乱」のあらすじ・ネタバレについて書いていきます。
詳細なネタバレもあるので先の展開を知りたくない方は、【ネタバレ注意】は読まないほうがいいです。
たまに、私がところどころふざけてセリフや文章を考えて書いているところがありもすが、決して本編の大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」ではそのようなことはありもはん。
なお、放送後の感想については、別ページで書いていきますのでそちらもよろしくお願いします。
西郷どん(せごどん)
第44話「士族たちの動乱」
NHK公式 あらすじ
政府を離れ、鹿児島に戻った西郷(鈴木亮平)は、畑仕事や狩りなどの静かな毎日を過ごすはずだった。しかし、桐野(大野拓朗)たちが次々と政府を辞め、薩摩に戻ってきてしまう。政府に対して不満を持つ全国の士族たちは爆発寸前だった。そんなとき、佐賀では江藤新平(迫田孝也)がついに兵を挙げるが、大久保(瑛太)が率いる政府軍にあっという間に破れる。逃亡する江藤は鹿児島へ向かい西郷に助けを求める。
NHK公式サイト 大河ドラマ「西郷どん」第44話「士族たちの動乱」より抜粋
西郷どん(せごどん)
第44話「士族たちの動乱」
あらすじ【ネタバレ注意】
桐野、政府辞めたってよ
明治6年(1873)11月、鹿児島に戻った西郷隆盛は、畑仕事をしたり、愛犬を連れて狩りに行ったり、漢詩を詠んだりと、静かな日々を過ごしていた。
漢字が読めない糸であったが、重圧から解き放たれた隆盛の字は安らかなものであると感じていた。
子供たちの教育係として欠かせない存在となっていた川口雪篷が、そんな夫婦の絆に感心していると、聞いたことのある声が聞こえてきた。
「西郷先生!おいたちもお役目を捨てて薩摩に戻ってまいりもした!」
その中には弟の小兵衛の顔もあった。
小兵衛は皆を呼び戻せと従道から言われたものの、最終的にはここまで来てしまったという。
桐野たちは、だまし討ちのように隆盛を政府から追い出した大久保のことを憎み、さらに続々と薩摩の者は辞めて鹿児島に戻ってくるらしい。
「官もいらず、名もいらず、こいが薩摩隼人の心意気でごわす!」
喜んでくれると思ってドヤ顔で話す桐野たち。
すると、隆盛は桜島が噴火したように怒った。
「何が心意気じゃ!こん、大馬鹿もんともが!」
数日後、鹿児島県庁では県令の大山綱良(格之助)が手紙を読んで頭を抱えていた。
近くにいた海江田武次が何事か聞くと、政府に居た薩摩士族600人が一斉に辞めて帰ってくるという。
そんな食い扶持は鹿児島になく、この政府に不満を連中が暴走したら鹿児島はどうなってしまうのか。
不穏
明治7年(1874)1月、東京では渡欧から帰ってきた村田新八 と川路利良が、従道に新設された内務省を案内されていた。
「信吾はよかったとな?ここに残って」
「お二人まで薩摩に帰るなんち言わんでしょうね?せっかく欧米学んできたことを無駄にせんでくいやんせ」
従道は「『西郷』の名に恥じぬよう、兄さぁの分まで食らいついてやる」という覚悟を隆盛に伝えていた。
内務省を統括していたのは内務卿の大久保利通。
帰ってきた二人には、警保寮(現在の警視庁)を担当して欲しいという。
「腹をくくれ。新八。おいについてこい。」
そう言われても、隆盛に心酔していた新八は納得がいかなかった。
一方、川路は恩はあっても国家のため、私情は捨てて警察組織に身を捧げる覚悟はついていた。
そんな時、岩倉具視が旧土佐藩士に襲われる事件が起きた。
岩倉は一命は取り留めたが、大久保はこれを機に反乱の火の手が上がることを心配していた。
すでに佐賀では江藤新平を担ぎ出し、政府に抵抗する一派があるらしい。
「警戒すべきは鹿児島じゃないか?大久保君」
木戸孝允の忠告に、大久保は「西郷が立つことは断じてない」と落ち着き払っていた。
その頃、鹿児島では隆盛は熊吉を連れて湯治場で談笑していた。
そこで隆盛は、自分を担ぎ出そうとした桐野たちが糸にどなりつけられた話を聞いた。
それ以来、桐野たちはめっきり顔を見せなくなったという。
隆盛には農民として暮らすという夢があったが、一方で大久保がつくる日本という国を早く見たいという気持ちがあった。
桐野たちのように不満を持つ士族たちも納得できる世の中を大久保がつくると信じていた。
しかし、鹿児島では満寿のいる大久保家に石が投げ込まれ、「奸臣大久保」などと言われていた。
さすがの満寿も鹿児島にはいられなくなり、夫と妾が暮らす東京に行くことを決意する。
糸は「一蔵さぁの妻は満寿さぁです。さぁ胸を張って」と背中を押し、満寿と子供たちは東京に旅立って行った。
私学校
高知では、板垣退助が後藤象二郎とともに『愛国公党』を結成し、「民選議員設立建白書」を政府に提出。
佐賀では、江藤率いる佐賀軍6,000が政府の守る佐賀城に攻撃を仕掛けた。
しかし、最新兵器を備えた政府軍の前に佐賀軍はあっけなく敗れ去った。
すると、敗走した江藤は隆盛のもとにやってきて、協力を依頼する。
隆盛が立てば、板垣や後藤も必ず決起し政府を取り戻すことが出来るというのが江藤の意見だった。
政府を取り戻すつもりもつもりも潰すつもりもない隆盛は、これを断り、私情を挟んだ戦を仕掛ける江藤を突き放した。
このあと、西郷のもとを去った江藤は政府に捕らえられ、大久保の命で処刑され、首はさらされた。
隆盛はこのことを新聞で知ると「むごか仕打ちじゃな・・・」と言葉を失くし、恐怖を植えつけて反乱を無くそうとする大久保のやり方にため息をついた。
その後、隆盛は鹿児島県庁に向かった。
突然の訪問に大山が驚いていると、隆盛は士族の学校を作るための金を出して欲しいと言う。
この学校で剣術、銃の扱い、学問を教え、政府に取り立てられるような者、海外へ留学する者、商人、農民などまで優れた人材を輩出していきたいと隆盛は考えていた。
「好き勝手なこつ言いおって」
「おいも帰ってきもした」
新八が言うには欧米の文明は確かに発展していたが、暮らしていた人は決して幸せそうではなかったという。
そんな国を作ろうと考える大久保の手伝いはどうしてもできないと政府を辞めてきたらしい。
「そいなら、こん薩摩で吉之助さぁのつくる学校を手伝いたか」
こうして、幼馴染たちの協力のもと「私学校」は建設された。
この学校にはアメリカから帰ってきた菊次郎と市来宗介が通い、決起を望んでいた桐野も隆盛の頼みを受け入れて教育を手伝うこととなった。
次回 西郷どん(せごどん)第45話「西郷立つ」あらすじ↓
西郷どん(せごどん)
放送後の感想について
放送後に別ページにまとめています。