大河ドラマ西郷どん(せごどん)
大山格之助(大山綱良)
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の中で、西郷小吉(吉之助・隆盛)のいる下加治屋町郷中と競い合う高麗町郷中のリーダー格として登場するのが大山格之助(のちの大山綱良)。
西郷小吉らとは時に遊んだり、ケンカし合う間柄の大山格之助は、成長すると西郷、大久保らと運命を共にする心強い同志になっていきます。
今回は、熱くて情に深い西郷の良き理解者・大山格之助について簡単に紹介します。
大山格之助(大山綱良)
大山格之助(大山綱良)は、文政8年(1825年)に樺山善助の次男として生まれた。幼名は熊次郎。
西郷隆盛より3歳年上。
嘉永2年(1849年)に大山四郎助の婿養子となり、通称を格之助とした。
成長した大山格之助は、薬丸自顕流の剣術を学び、小太刀を極めて藩中随一の使い手といわれた。
のちに江戸でも武勇伝をいくつも残している。
尊王攘夷運動が本格化すると、大山格之助は西郷隆盛や大久保利通らとともに精忠組に参加し、藩主・島津久光の上洛に随行。
文久2年(1862年)の寺田屋事件では、過激派藩士の粛清に加わって事件の中心的役割を果たした。
この時、大山格之助は過激派であった大山巌・西郷従道らを説得し、投降させている。
戊辰戦争では、奥羽鎮撫総督府の下参謀になり、大山格之助が率いる新政府軍は庄内藩の反撃で連敗したが、戦後は新政府から恩賞を受けた。
明治新政府になってから大山格之助は、長州藩で起こった反乱討伐軍の司令官として派遣されたが、現地到着後に勝手に軍の解散を命じて木戸孝允らから怒られ、西郷隆盛が謝る騒ぎを起こしている。
新政府では廃藩置県後に鹿児島県の大参事(県令)になる。
大山県令は古い薩摩の習慣が抜けないからと言って、県庁に保存されていた薩摩藩の公文書を焼却し、後の薩摩藩研究に大きな災いを残した。
明治6年(1873年)の征韓論争から西郷隆盛らが下野し、鹿児島に帰ってくると、私学校設立などの援助を行って西郷を助ける。
さらに大山県令の鹿児島県は、新政府に租税を納めず、私学校の者を県官吏に抜擢して独立国家状態になった。
明治10年(1877年)、西郷隆盛が起こした西南戦争では、大山格之助は西郷軍を金銭面で援助し、戦後に罪を問われて逮捕。
その後、東京へ送られたのち長崎で斬首された。享年53歳 。