大河ドラマ西郷どん(せごどん)
赤山靭負(あかやまゆきえ)
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の中で、西郷吉之助(隆盛)たちの頼れる先生のような働きを見せるのが沢村一樹が演じる赤山靱負(あかやまゆきえ)。
初登場時の第1話では、史実の上では赤山靱負(あかやまゆきえ)は17歳のため、キャスト設定に多少無理がありますがw、その後の吉之助と島津斉彬とを結ぶ重要な役割を担っていくことになります。
史実ではあまり記録がない赤山靱負ですが、この大河ドラマの中では吉之助ら門弟たちに残す最期の言葉は、感動すること間違いありません。
今回は、吉之助らから尊敬を集めた薩摩藩の重臣・赤山靱負について簡単に紹介していきます。
ホントにアッサリしていますw。
赤山靭負(あかやまゆきえ)
赤山靭負(あかやまゆきえ)は、幕末薩摩藩の重臣。
諱は久普(ひさひろ)という。
文政6年1月17日(1823年2月27日)に島津氏分家・日置島津家当主の島津久風の子として誕生した。
西郷隆盛より5歳年上。
兄の島津久徴は、藩主・島津忠義(久光)の主席家老。弟の桂久武は西郷隆盛と親交が深く、のちに西南戦争で戦死している。
日置島津家は、薩摩藩内では藩主の一門家に次ぐ名門であり、代々家老などの重役につく特別な存在だった。
また、元服時に次男家まで藩主が直々に加冠されるという一門家以外では日置島津家だけに与えられた特権があり、赤山靭負も藩主・島津斉興から加冠を受けて元服した。
天保12年(1841年)、赤山靱負は小納戸見習行奥小姓として出仕した。
天保15年(1844年)には江戸滞在中に供目付を兼務し、弘化3年(1846年)には槍奉行の職に就任。
弘化4年(1847年)、名越左源太や郷田仲兵衛とともに軍役方掛となった。
嘉永3年(1850年)、赤山靱負は革命的な島津斉彬を尊敬し「藩主・斉彬」を願う一派の中心的人物であったため、島津斉興の逆鱗に触れて切腹を命ぜられた(お由羅騒動)。