大河ドラマ西郷どん(せごどん)
海老原重勝(蕨野友也・わらびのともや)
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第5話「相撲じゃ!相撲じゃ!」で登場する、蕨野友也(わらびのともや)が演じるイケメン海老原重勝。
どうやら、この海老原重勝は西郷吉之助(隆盛)の幼馴染・岩山糸が気になっていたようで、すぐに縁談話が持ち上がります。
その後、島津斉彬の御前で相撲大会が開催され、決勝戦で西郷吉之助に負けてしまう海老原重勝ですが、なんだかんだで岩山糸と結ばれることになります。
今回は、岩山糸の旦那になった海老原重勝について、大河ドラマのあらすじと共に簡単に紹介します。
カッコよすぎ!
蕨野友也(わらびのともや)
出典:https://ameblo.jp/warabino-tomoya/
海老原重勝は実在したか?
まず気になるのが、蕨野友也(わらびのともや)が演じる海老原重勝は実在した人物であるかということ。
調べてみると、岩山糸が嫁いだ家は「海老原家」であることは分かっているものの、それが「海老原重勝」という名前であったかということは伝わっていません。
おそらく大河ドラマの中で「重勝」という名前を与えれた架空の人物です。
しかし、薩摩藩士であった海老原家には一人だけ有名な人物・海老原穆(えびはらぼく)という人物がいて、もしかしたらその人物が海老原重勝のモデルになっているのかもしれません。
以下は、海老原穆を紹介します。
海老原穆は、天保元年(1830年) に島津家に仕える海老原宗之進の子として誕生した。
明治元年(1868年)に戊辰戦争に薩摩軍の一員として出陣。
明治4年(1871年)には、西郷隆盛と共に上京して陸軍大尉を拝命したが、2年後に西郷が下野すると海老原も辞職した。
明治8年(1875年)に、海老原は集思社を設立して「評論新聞」を創刊。ジャーナリストとして活躍し、大久保利通らの政治に痛烈な批判を行った。
これが法令違反とされて海老原は逮捕されたが、のちに保釈されて大久保から西郷の伝記を記すように命じられた。
明治34年(1901年)横浜で死去。享年73歳。
大河ドラマでの海老原重勝と岩山糸
海老原重勝は、岩山糸の父・岩山直温の上司である海老原家の長男とされており、赤山靱負の家に出入りしていた岩山糸が気になっていました。
このことから、海老原家は岩山家に縁談話を持ち掛けます。
岩山家にとっては、上司である海老原家からの縁談話は断れるはずもなく、むしろ光栄なぐらいの良い話。
岩山直温は、すぐに糸に縁談話を伝えて海老原家に嫁ぐように説得します。
しかし、糸の心の中には西郷吉之助がいました。
悩んだ糸は、橋の上で下駄を蹴り上げて表が出たら嫁に行き、裏が出たら断ろうと思い立ちます。
すると、下駄は橋の下でウナギを取っていた吉之助の頭に直撃w
糸の奇妙な行動を不思議がる吉之助でしたが、サイズの大きい下駄を履いて上手く歩けない糸をおぶって連れて帰りました。
その姿を、川の向こうで海老原重勝は見ています。
吉之助におぶられ大久保家まで来た糸。
そこで吉之助の祖母・きみに縁談話があることを、皆の前でバラされてしまいます。
大久保正助も、海老原重勝と同様に糸のことが気になっていましたが、この時はまだ謹慎の身分で何もできません。
正助の気持ちに気づいた吉之助たちは、相撲大会に海老原重勝が出場することを知って、海老原重勝が糸にふさわしい男であるか確かめようとします。
その後、糸の気持ちが吉之助にあることを知り、アッサリ失恋した正助。
そんなことも知らない吉之助は相撲大会で勝ち進み、決勝で海老原重勝と対戦することになりました。
この時、海老原重勝は足首を痛めており、吉之助もそれに気づきます。
ためらう吉之助に対し「正助のためにも卑怯な手を使っても海老原重勝に勝て」という郷中の男たち。
すると海老原重勝は吉之助に声を掛けました。
「情けは無用じゃ」
そして始まった決勝戦は、海老原重勝の弱点を攻めず、投げを打たなかった吉之助が吊出しで勝利しました。
糸の縁談話は流れたわけではなく、保留のような形になっていましたが、しばらくして糸は吉之助に縁談話が持ち上がっていることを聞き愕然とします。
そんなことも知らず吉之助は、「海老原重勝は正々堂々としたいい男だが、正助の方がいい男だ」と言って、糸には縁談話を断らせようとしました。
しかし、これで吹っ切れた糸は吉之助の言葉に首を振り、最後に吉之助への想いを伝えて海老原重勝のもとに嫁いでいくことになります。
以上が、海老原重勝と岩山糸のなれそめですが、その後、二人は離縁となってしまいます。
そのへんのところは、大河ドラマでどのように描かれるのでしょうか。
二人の物語も、これから楽しみなところです。