大河ドラマ西郷どん(せごどん)
海国図志とは?
大河ドラマ西郷どんの第5話「相撲じゃ!相撲じゃ!」で、謹慎中で外に出れなくなった大久保正助が読みたがっていた本が「海国図志」です。
吉之助がこの「海国図志」を借りてきてくれて、正助は喜んでいますが、一体この「海国図志」とは、どのような内容の本だったのでしょうか?
今回は、幕末において「外国の技術を学び、その技術をもって外国から日本を守る」という思想の原点となった「海国図志」について簡単に紹介します。
海国図志
中国の清代の人物・魏源(ぎげん)が著した海外事情紹介を兼ねた地理書。
魏源は1840年の第1次アヘン戦争時に、捕虜のイギリス兵から聞きとって「英吉利小記」をつくり、イギリス事情を紹介。
翌年、阿片戦争後に左遷された林則徐から、H.マーリの「地理学百科訳」を漢訳した「四洲志」を与えられた魏源は、これをもとに多くの欧米の地理書の漢訳本や、史書・地理書に記載されている外国の記述を編集して地図をつけてまとめ「海国図志」50巻が完成した。
その後、「海国図志」は補完されて最終的には全100巻となる。
この「海国図志」の中で、魏源は「夷の長技を師とし以て夷を制す(外国の先進技術を学ぶことでその侵略から防御する)」という思想を明確に示し、国内改革の必要性を強く訴えた。
しかし、清朝では「香港を渡せば英国も満足するだろう」と考え、魏源の思いは届くことはなかった。
一方、「海国図志」は海を渡って日本で真剣に受け止められていた。
清朝がアヘン戦争に敗れたことを知り、危機感を覚えた日本では吉田松陰や佐久間象山らによって「海国図志」が読まれ、外国の脅威に対抗するため魏源の考える国内の体制転換の機運が高まって、幕末から明治維新に至るのである。
魏源(ぎげん)
1794年4月23日生まれ。
清の思想家で、もとの名は遠達。
湖南省邵陽県金潭の人で、1831年より揚州に居住した。
親しかった林則徐と共に、中国に世界を見るよう提唱した。
晩年は杭州に隠棲して仏教研究に打ち込み、1857年3月26日に死去。