大河ドラマ西郷どん(せごどん)
御台所(みだいどころ)
大河ドラマ西郷どんで、北川景子が演じる於一(篤姫)は、又吉直樹が演じる第13代将軍・徳川家定に嫁ぐことが決定します。
その中で、於一(篤姫)は「御台所(みだいどころ)」と呼ばれるのですが、この「御台所(みだいどころ)」というのは一体どういう立場のものだったのでしょうか。
今回は、「御台所(みだいどころ)」の歴史について簡単に紹介します。
御台所(みだいどころ)
御台所は、江戸時代において幕府将軍の正室の呼称として用いられていた言葉。
大奥の制度が確立されて以降、御台所は皇室や公家から迎えるのが慣例となっていた。
11代将軍・家斉の御台所・寔子と、13代将軍・家定の御台所・敬子(篤姫)は薩摩の島津家出身であったが、二人とも公家の近衛家の養女になった後に御台所として迎え入れられている。
しかし、江戸幕府はこの御台所が世継ぎを産み、皇室や公家に縁のある将軍が誕生することを嫌っていた。
このため、2代将軍・秀忠の御台所(江)以外に将軍を産んだ御台所はいなかった。
江戸時代初期の御台所は、立場だけは大奥№1にあったが、その実権は老女や世継ぎを産んだ側室が握っていた。
実権を握っていた側室たちは、女中たちの居住区「長局向」には住まず、独立した住まいを与えられ生活していた。
しかし、6代将軍・徳川家宣の時、大奥の改革が行われて側室の住居は「長局向」だけと決められた。
更に、側室の立場は「臣下」とされ、御台所は側室の産んだ子の嫡母の待遇を受けるようになり、御台所の権威が大きく上昇することになり幕末まで続いた。
御台所は大奥「御殿向」の北西にある「松御殿」または「新御殿」と呼ばれる場所に住み、日常生活においては食事の時ぐらいしか自分の手を使わず、トイレ、爪切り、着替えなどは全て女中たちが代わりに手を動かしてくれた。
夫が亡くなると御台所は、落飾して西丸へと移って将軍の菩提を弔い余生を過ごすが、中にはその後も権力を振るう者もあったという。