大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」
中山尚之助と堀次郎
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の中盤、中央政界に進出を図る薩摩の「国父」島津久光のもと、側近として補佐しているのが小松帯刀、大久保一蔵(利通)、中山尚之助、堀次郎の4人。
この4人はそれぞれの思惑の中、西郷吉之助の周りでウロチョロしていますが、中山尚之助は『久光命』のため吉之助が大嫌いで、色々邪魔をしてきます。
一方の堀次郎は、吉之助には好意的ですが4人の中では陰の薄い存在。
今回は、吉之助にとって薩摩藩の内なる敵、中山尚之助と、いまいちパッとしない堀次郎について簡単に紹介していきます。
中山尚之助
中山尚之助(なおのすけ)は幕末の薩摩藩士で、中山中左衛門ともいう。
「国父」となった島津久光の側近として活躍し、小松帯刀、大久保一蔵(利通)、堀次郎(伊地知貞馨)と並んで『久光四天王』と呼ばれた。
久光への忠義心が厚く、久光が兵を率いて京に向かうことに反対した西郷吉之助を嫌い、影で吉之助が久光を愚弄していたことを報告して、二人の関係に複雑なねじれを持ち込んだ人物とされている。
このことがきっかけで吉之助は、奄美大島から戻ってわずか2カ月で徳之島に遠島処分となった。
明治維新まで久光に忠実に使えていたが、新政府が発足すると中山尚之助は、大久保利通ら政府要人の暗殺を企てたとして警視庁に逮捕され、懲役10年の判決を受けて獄中で死去した。
堀次郎(伊地知貞馨)
堀次郎は幕末の薩摩藩士で、のちに伊地知貞馨(いじちさだか)と名を変えた。
「国父」して実権を握った島津久光は過激な行動を起こしがちな誠忠組の取り込みを図って、誠忠組の旗揚げに加わっていた堀次郎を側近として抜擢した。
当初は大久保一蔵(利通)と並ぶ久光の側近として、京都や江戸などで他藩との交渉などに活躍していた。
幕政改革を目指した久光の率兵上京に際して準備のための時間稼ぎのために、藩主・島津茂久の参勤の延期を幕府に申し出たが受け入れられず、口実を作るために堀次郎は藩の密命を受けて江戸藩邸を自焼させた。
これにより茂久は江戸出府の遅延を許されたが、翌年になって幕府に火災が自作自演であることを突き止められた。
主犯格とされた堀次郎は幕府からの追求から逃れるために「伊地知」へと改称して江戸から鹿児島に戻り、以後は政治活動の第一線から退いた。
明治維新後は内務省に出仕するが、長年の盟友だった内務卿・大久保利通に、琉球からの収賄を咎められて免職となった。