【小松帯刀】西郷どん(せごどん)町田啓太が演じるイケメン家老は西郷隆盛、大久保利通、坂本龍馬も認めた英雄

   

大河ドラマ「西郷どん(せごどん)
小松帯刀

大河ドラマ西郷どん(せごどん)もいよいよ中盤。

奄美大島から薩摩に戻った西郷吉之助は、ここから「倒幕」に向けてひた走ることになりますが、そんな吉之助の新たな仲間?として登場するのが、町田啓太さんが演じる薩摩藩の若き家老・小松帯刀です。

史実での小松帯刀は、年下ながら西郷隆盛、大久保利通らに信頼されたとても評価の高い人物ですが、今回は西郷隆盛が主役とあってサポート役的な役割を果たしてくことになるでしょう。

今回は、大河ドラマ西郷どん(せごどん)で小栗旬が演じる坂本龍馬とも親交の深かったイケメン家老・小松帯刀について簡単に紹介します。

 

 

出典:https://www.nhk.or.jp/

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小松帯刀(清廉)

小松帯刀は、天保6年(1835年)に薩摩藩喜入領主・肝付兼善の四男として生まれた。母は島津久貫の娘。

父母は次兄の要之介を寵愛していたため、帯刀は両親の愛情に恵まれず幼少期を過ごした。

虚弱体質だった帯刀は病気がちの生活を送りながらも、学問に対する向上心を高く持ち、身分の異なる人々から知識や考えを吸収することを怠らなかったという。

 

安政3年(1856)、帯刀は吉利領主・小松清猷の養子となって家督を継承し、同時に清猷の妹・千賀と結婚。

愛妻家だった帯刀は、千賀の父を連れて霧島の栄之尾温泉に新婚旅行に出かけたという。

島津斉彬が死去し、新藩主となった島津茂久から当番頭兼奏者番に任命された帯刀は、集成館の管理や貨幣鋳造を職務に就いた。

 

文久元年(1861)に長崎行きを命じられた帯刀は、オランダ軍艦に乗船して軍艦操作や水雷砲術学などを学び、帰国後は茂久のもとで水雷の実演を行った。

その後、国父・島津久光のもと人事改革が行われ、帯刀は重用されて御改革御内用掛となり藩政改革に取り組んだ。

この時、帯刀の配下には大久保一蔵(利通)がいた。

 

人柄が良く、人望も厚かった帯刀は、文久2年(1862)の久光の率兵上京ののち、若くして薩摩藩の家老職に取り立てられた。

のちに西郷隆盛が初めて帯刀に会いに行った際、西郷は7歳も若い帯刀を試そうと、わざと部屋で寝て待っていた。

身分としては西郷よりも遥かに高い帯刀だったが、寝ている西郷の姿を見てキレることはなく、逆に西郷のために枕を持って来るように従者に命じた。

帯刀の度量の大きさに西郷は感激し、すぐに帯刀に詫びて忠誠を誓ったという。

 

 

篤姫では瑛太が演じていた小松帯刀

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その後、薩英戦争が起こると、帯刀は研究した水雷を鹿児島湾に配置するなど活躍。

一方、京都では朝廷や幕府、諸藩との連絡・交渉役を務めた帯刀は、参預会議にも同席するなど政治的活動で薩摩藩を支えた。

長州藩が京に迫った禁門の変では、帯刀は幕府の出兵要請を渋っていたが、勅命が下されると藩兵を率いて幕府側の勝利に貢献。

戦後に長州藩から奪った米を、戦災で苦しんだ京都の人々に配った。

また、この在京中に坂本龍馬と仲良くなり、のちに亀山社中の設立を援助したり、龍馬の妻・お龍の世話までしている。

坂本龍馬も政治的に優れた帯刀を高く評価し、龍馬の考えた新政府の人事構想では、西郷、大久保、桂よりも上に「小松帯刀」の名が挙げられていた。

 

その後、帯刀は長州藩士・井上馨、伊藤俊輔(博文)を長崎の薩摩藩邸にかくまって貿易商・グラバーと引き合わせるなど、薩長同盟を成立させるため尽力。

その甲斐あって京都の帯刀の屋敷で、無事に薩長同盟の密約は結ばれた。

 

また、帯刀は英国と薩摩の友好に尽力しており、密かに五代友厚らを英国へ留学させ、さらに英国公使・パークスを薩摩に招いて、島津久光と引き合わせた。

 

慶応3年(1867)の薩土盟約や四侯会議などで諸藩との交渉を行った帯刀は、「討幕の密勅」に西郷隆盛・大久保利通とともに署名。

徳川慶喜により大政奉還が成されると、帯刀は藩を代表して慶喜に将軍辞職を献策した。

その後、西郷・大久保を連れて薩摩に戻った帯刀は、藩主・島津茂久の率兵上京を主張。

これに応じた茂久は随行を命じたが、帯刀は病のために断念した。

 

 

龍馬伝では滝藤賢一さんが演じた小松帯刀

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新政府においては、帯刀は総裁局顧問などの要職を歴任。

幕府の借金を新政府が返済しないなら横須賀造船所を差し押さえると主張したフランスに、帯刀と大隈重信はイギリスから金を借りて何とか返済するなどしている。

 

明治2年(1869年)、大久保利通に版籍奉還の申し出を催促し、鹿児島に帰藩すると病気のために領地・家格の返上を願い出て退職。

版籍奉還では、自らの領地を返上して久光を手本を示して説得したが、その後下腹部の腫瘍が悪化し、大阪に居を移した。

明治3年(1870年)、36歳で大阪にて病死。

帯刀の最期は側室である三木琴が看取った。

この琴は帯刀の死後、長男・安千代を鹿児島にいる帯刀の正妻・千賀に預け、帯刀と親交があった五代友厚邸で長女の壽美とともに暮らした。

 

 

本物の小松帯刀

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