大河ドラマ西郷どん(せごどん)
郷中(ごじゅう)教育とは?
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第1話(初回)は、西郷隆盛らの幼少期が描かれ、西郷隆盛は西郷小吉、大久保利通は大久保正助として登場。
他にも歴史に名を残す薩摩藩士がたくさん登場してきます。
西郷小吉ら子供たちは、町内単位で一つのグループを形成し教育を受けており、これが「郷中(ごじゅう・ごちゅう・ごうちゅう)/郷中教育」というのものです。
今回は、この集団自治教育システム「郷中/郷中教育」について紹介したと思います。
出典:http://rekishi-mystery.seesaa.net/
郷中(ごじゅう・ごちゅう・ごうちゅう)/郷中教育
薩摩藩は、武士の居住区ごとに「郷」というものに別れて、グループを形成していた。
「郷中/郷中教育」は、このグループに別れた薩摩藩特有の藩士子弟の教育システムを指す。
郷中は戦国の島津義弘の代、豊臣秀吉の文禄・慶長の役の間、留守を預かった武士の青少年の風紀が乱れたことから、これを心配した家老たちが考案した教育システムが起源といわれており、当初は18の郷中だったが、西郷隆盛たちが活躍した幕末期には33郷中に増加していた。
郷中は、
⓵ 6から10歳ぐらいまでを「小稚児(こちご)」
② 11から15歳ぐらいまでを「長稚児(おせちご)」
③ 15から25歳ぐらいまでを「二才(にせ)」
④ 妻帯者を「長老(おせんし)」
のグループに分けていた。
各郷中には、特定の教師は存在せず、年長者が指導にあたる形をとっている。
郷中の運営は、それぞれの自主性に任され、教育内容は非常に厳しいものであった。
幼少期から10数年間も集団の中で過ごすために、郷中の結束は強く、他の郷中との競争意識も高く、大河ドラマ西郷どん(せごどん)の中でも、西郷小吉らの下加治屋町郷中は、隣の高麗町や平之郷中とたびたび競い合っている。
この郷中教育のおかげで、鉄の結束と強い闘争心を持つ薩摩隼人の気風が育まれていった。
ちなみに、西郷隆盛(小吉・吉之助)は、20歳の時に下加治屋町の二才頭に就任して、同じ郷中の後輩たちの指導にあたっている。