大河ドラマ西郷どん(せごどん)
リチャードソン
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第25話で起こる「生麦事件」。
この事件で薩摩藩士・奈良原喜左衛門に斬られ、海江田武次にとどめをさされてしまったのが英国人・リチャードソンです。
一見すると、行列に割り込まれただけで海江田武次たちが凶行に及んだように思ってしまいますが、当時の外国人の間にはリチャードソンに側を非難する声も多々ありました。
今回は生麦事件の被害者・リチャードソンについて周囲の評価とともに簡単に紹介します。
リチャードソン(1833~1862)
チャールズ・レノックス・リチャードソンは、ロンドン出身で上海を拠点としていたイギリス人商人。
1853年に上海へ渡海し、商社を設立して商売をしていましたが、1862年に仕事を引き払って帰郷する際に、観光のために日本へ立ち寄りました。
リチャードソンは横浜で交友のあった商人ウッドソープ・クラークと再会し、ボラディル夫人を加えた一行は川崎大師へ向かう途中、生麦村で島津久光の行列と遭遇します。
ここで一行は馬に乗ったままの行列の中に入り、激昂した薩摩藩士に斬りつけられました。
リチャードソンは薩摩藩士・奈良原喜左衛門に重傷を負わされて逃走しますが落馬。
追いかけてきた海江田武次にとどめをさされました。
生麦事件と呼ばれたこの事件に、イギリスは薩摩藩と幕府に賠償金と犯人の引渡しを要求しますが、薩摩藩が拒否したため薩英戦争が起こることになりました。
リチャードソンの性格と周囲の評価
リチャードソンは、親孝行で物静かな性格だったという話と、粗暴な性格だったという話があり、実際はどちらだったのかは分かりません。
この事件を聞いた横浜に居留する外国人たちは報復を考えたりしていますが、一方で「リチャードソンが悪い」という話も多く残っています。
アメリカ人女性宣教師・マーガレット・バラは「その日は役人から大名の行列が東海道を進むため乗馬は控えるように言われていたのに、リチャードソンたちは幕府の勧告も無視し道を譲らず、行列に飛び込んだ」と言っています。
また当時の『ニューヨーク・タイムズ』でも「この事件の非はリチャードソンにある。日本の貴族に対する無礼な行動をとることは、外国人どころか日本国民ですら許されていない。条約では在居と貿易の自由は認められているが、日本の法や慣習を犯す権利はない」と書いています。
さらに、リチャードソンと同じように久光の行列に遭遇し、脱帽して行列に礼を示していたアメリカ人商人・ユージン・ヴァン・リードは「彼らは傲慢にふるまった。自業自得である」とも言っています。
出典:http://social-studies33.com/