大河ドラマ西郷どん(せごどん)
西郷隆盛の妹たち
西郷鷹と西郷安
大河ドラマ西郷どん(せごどん)での貧乏に苦しむ西郷家、MAX時は11人家族+下人1人の12人の大所帯。
その中、吉之助(隆盛)の兄弟姉妹は7人で以下のとおり。
長男:吉之助
長女:琴
次男:吉二郎
次女:鷹
三女:安
三男:信吾
四男:小兵衛
その中でも、あまり注目されることの少ない、次女の鷹と三女の安について今回まとめましたので簡単に紹介します。
西郷鷹(三原鷹)
西郷鷹は、西郷吉兵衛と満佐の次女として天保7年(1837)~天保9年(1839)頃に生まれた。
西郷家7人兄弟の4番目(隆盛、琴、吉二郎のつぎ)。
嘉永7年(1854)に三原伝左衛門に嫁いだ。
三原家の家格は、当時の西郷家より上であった。
安政2年(1855)、鷹は男子を産み、西郷隆盛は市来正之丞(長妹・琴の夫)に宛てて「鷹のこと、ひとえにお世話になりました。無難に出産し母子ともに息災の由、安心いたしました」と手紙を書いている。
安政3年(1856年)には娘のマサを産んでいるが、文久2年(1862)頃に死去した。
娘・マサの夫となった中村信義は、明治10年(1877)の西南の役で戦死している。享年25歳。
マサは大正3年(1914)に死去。享年57歳。
西郷安(大山安)
西郷安は、西郷吉兵衛と満佐の三女として天保10年(1839)に生まれた。
西郷家7人兄弟の5番目(隆盛、琴、吉二郎、鷹のつぎ)。
安は、安政3年(1856)頃に父・西郷吉兵衛の弟である大山綱昌の長男・大山成美(せいみ)と結婚した。
夫の大山成美は、薩長同盟締結後の慶応2年(1866年)に坂本龍馬が寺田屋で襲われた際、伏見の薩摩藩邸から船を出して龍馬を救出している。
その後、安は万延元年(1860)頃に長男・辰之助を産み、明治8年(1875)には長女・雪子を産んだ。
夫の大山成美は、明治維新後に京都府大参事(副知事)や埼玉県大参事などを務めたが、明治6年(1873)の西郷隆盛が下野すると共に職を辞して鹿児島に帰郷した。
明治9年(1876)に、夫・大山成美が病死。
西郷隆盛が葬儀を取り仕切り、成美の弟・大山巌に宛てて手紙を出して、葬儀の模様を知らせ、さらに大山家の末弟・誠之助が遺族と同居するから心配するなと伝えている。
この大山家の末弟・誠之助は、翌年に西郷隆盛の娘・菊草(愛加那との子)と婚約している。
明治10年(1877)、西南の役に出征した安の息子・大山辰之助が戦死。享年16歳。
明治12年(1879)、西南の役で投降して収監されていた誠之助が釈放され、翌年に誠之助と菊草が結婚した。(誠之助30歳、菊草17歳)
夫婦はしばらく大山家で同居したのち、東京に引っ越した。
明治22年(1889)、西郷の罪が赦されたとき、安は娘・雪子、姉・市来琴と共に上京し、大山巌の援助を受けて暮らした。