【小河一敏(おごうかずとし)】西郷どん(せごどん)で吉之助が下関で出会った豊後岡藩の尊王志士の生涯とは

      2018/06/10

大河ドラマ西郷どん(せごどん)
小河一敏(おごうかずとし)

大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第22話「偉大な兄 地ごろな弟」で、西郷吉之助は「国父」島津久光によって、下関で薩摩本隊を待つように命じられますが、その時京では続々と尊王攘夷派の志士たちが集まりつつありました。

その中に豊後岡藩士の小河一敏(おごうかずとし)という男がいます。

この記事では、島津久光の上洛を機に挙兵を計ろうとした小河一敏について簡単に紹介します。

 

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小河一敏(おごうかずとし)

小河一敏は、幕末の豊後国の岡藩士の子として生まれた。

朱子学・陽明学を学び、国学にも通じていた一敏は、武術や詩歌にも優れていたという。

岡藩が尊王派と佐幕派に分かれ対立すると、一敏は尊王派の指導者として活動し、薩摩藩と結んで倒幕を画策した。

島津久光の上洛を機に挙兵を計ったが、文久2年(1862)に寺田屋騒動が起こると一敏は挫折し、藩に幽閉の身となった。

一度は許されたものの、慶応元年(1865)に幕府から目をつけられることを嫌った藩主・中川久昭によって再び幽閉された。

新政府が成立後の慶応4年(1868)、一敏は解放されて太政官に出仕し、参与・内国事務局判事となり、大阪府判事、堺県知事などを歴任。

堺県知事時代には養蚕業を導入して殖産興業に努めたが、明治3年(1870)に大和川の堤防の修築のため、独断で県札を発行したことを咎められて解任された。

しかし、氾濫で決壊した大和川の堤防修復工事は和泉・河内地方の民衆には感謝され、記念碑を建てて一敏の功績をたたえている。

その後、宮内大丞に任ぜられたが明治4年(1871)に免官となり、明治8年(1875)より修史局、修史館で史料の編纂にあたった。

また、明治14年(1881)には宮内省御用掛なども歴任している。

 

出典:https://www.city.taketa.oita.jp/

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