大河ドラマ西郷どん(せごどん)
桂小五郎(木戸孝允)
大河ドラマ西郷どん(せごどん)で薩長同盟、その後の明治新政府の中で重要な役割を果たす、玉山鉄二演じる長州藩士・桂小五郎(木戸孝允)。
本編の間に放送されたNHKの特番では、勝海舟、坂本龍馬に比べ知名度の劣る人物として放送され、思わず「おいおい」とツッコんでしまいました。
ま、確かに地味な活躍ばかりしてた人ですけど、幕末には欠かせない超有名人でしょ?どんなリサーチしたんだよ・・・。
というわけで、とりあえず「桂小五郎(木戸孝允)」について超簡単にまとめてみました。
結果・・・・うん・・・ちょっと地味かも・・・www
まとめ方が悪いんだよね。すまん小五郎。
桂小五郎(木戸孝允)
桂小五郎(木戸孝允)は、西郷隆盛、大久保利通と並ぶ「維新三傑」の一人。
天保4年(1833)に長門国萩の藩医・和田昌景の長男として生まれ、7歳で隣家の長州藩士・桂九郎兵衛の養子となった。
はじめ「桂小五郎」と名乗り、数々の名前を使いながらちに、のちに「木戸孝允」と改名した。
17歳で吉田松陰の門下生となった桂小五郎は、その後、江戸に遊学。
剣術、洋式砲術、兵術、造船術、蘭学などを学び、剣術では江戸3大道場の一つ「練兵館」で塾頭を務めるほどの技量を持っていた。
その傍ら、水戸、越前、薩摩などの志士と親交を結び、尊王攘夷活動に邁進。
禁門の変や第一次長州征伐ののち、桂小五郎は孤立を深めた長州藩のために京都に留まり、潜伏生活を送りながら名誉回復に努めた。
数々の同志を失う中、桂小五郎は乞食や町人に変装しながら、幕府の追及を振り切って逃げまくり、「逃げの小五郎」と呼ばれた。
その後、高杉晋作や大村益次郎らと協力して藩政改革を断行した桂小五郎は、西郷隆盛が主導する薩摩藩と「薩長同盟」を成立させる。
明治維新後は、新政府で数々の要職を歴任し、明治4年(1871)には岩倉使節団の副使として欧米を歴訪。
これで内政優先の必要性を痛感して、帰国後に憲法の制定、二院制の確立、教育の充実、法治主義の確立などを提言した。
しかし、激しい権力闘争の中、独裁色を強めていた大久保利通を対立して政権の中央から離れ、西南戦争真っ最中の明治10年(1877)に出張中の京都で病死した。享年45。
大久保利通とは「離れれば淋しさを感じ、会えば窮屈を感じる」間柄と性の合わない夫婦のように例えられ、対立しながらもお互い尊敬し合うものだったという。
死に際には「西郷、いい加減にしないか」と政府と西郷隆盛のことを最後まで案じていた。