大河ドラマ西郷どん(せごどん)
西郷午次郎・西郷酉三
大河ドラマ西郷どん(せごどん)では、西郷吉之助と糸との間には3人の男子が生まれますが、その中で父の幕末での活躍を知らずに生まれたのが次男の「西郷午次郎」と三男「西郷酉三」。
午次郎と酉三には父と触れ合える時間は長くはなく、幼くして西南戦争で父を失ってしまいますが、この記事では父や兄とは違って地味に生きた「西郷午次郎」と「西郷酉三」の生涯について分かる範囲でまとめています。
二人が残した西郷家の血
西郷午次郎(うまじろう)
誕生と別れ
西郷午次郎は、明治3年(1870)に西郷隆盛と糸の次男(愛加那の子・菊次郎は庶兄)として生まれ、干支にちなんで「午(うま)」の字を与えられました。(隆盛42歳、糸27歳)
午次郎が生まれる一年前には、愛加那の子である庶兄の菊次郎が西郷家に引き取られており、同居していたのは母の糸、兄の菊次郎と寅太郎、亡き吉二郎の後妻・園と2人の子、従道の妻・清子、居候の川口雪篷、下男の熊吉など使用人たちでした。
父は東京で活躍する一方で鹿児島には何度も帰郷しており、明治6年(1873)に政府に辞表を提出して以後は、家族水入らずで一緒に過ごしていました。
しかし、明治10年(1877)に西南戦争が起こると、わずか7歳で午次郎は父を失ってしまいます。
その後、戦死した隆盛は新政府に背いた反逆者として扱われ、午次郎たち一族は鹿児島で密かに暮らしていました。
実業家として生きた西郷
明治35年(1902)には、父・隆盛の維新の功によって兄の寅太郎は侯爵を授かり、華族に列せられて貴族院議員に就任しましたが、午次郎は兄たちとは違い政治の表舞台には立たず、明治の世の中で実業家としての人生を送ったといいます。
大正8年(1919)に兄・寅太郎の死去すると、日本郵船に勤務していた午次郎は、75歳になった母・糸子や、寅太郎の子供たちを引き取って一緒に暮らしました。
そして日本郵船退職後は、叔父である西郷従道の土地を譲り受け、悠々自適の老後を過ごしたといいます。
昭和10年(1935)死去。享年65。
ちなみに午次郎の長男・隆一の娘である伊津子は、昭和42年(1967)に島津家の当主である島津修久と結婚し、当時でも話題となっています。
西郷酉三(とりぞう)
西郷酉三は、明治6年(1873)に西郷隆盛と糸の三男(愛加那の子・菊次郎は庶兄)として生まれ、干支にちなんで「酉(とり)」の字を与えられました。(隆盛45歳、糸30歳)
酉三の誕生は、隆盛が政府に辞表を出して鹿児島に帰る直前であり、父との触れ合いは兄弟の中でも一番少ないものでした。
明治10年(1877)に父・隆盛が戦死したとき、酉三はわずか4歳。
その後、酉三がどのような人生を送ったのかは分かっていませんが、父とは違って体が丈夫ではなかったらしく、明治36年(1903)に30歳の若さで結核で死去したといいます。
西郷どん(せごどん)あらすじ
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