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【薩英戦争】西郷どん(せごどん)薩摩隼人の意地にイギリス艦隊が驚いた!生麦事件が引き起こした薩摩と英国の戦争とは

投稿日:2018年6月16日 更新日:

大河ドラマ西郷どん(せごどん)
薩英戦争

大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第25話で、生麦事件の直接交渉のため、薩摩に英国艦隊がやってきました。

慎重論を主張する重臣たちの中、大久保一蔵は「薩摩兵こそ日本最強」であると断言し、徹底抗戦を主張して島津久光の心を動かします。

こうして始まるのが「薩英戦争」なのですが、このとき西郷吉之助は沖永良部島にいるので、おそらく大河ドラマの中ではナレーションなどでサラッと流されてしまうと思います。

今回は、この「薩英戦争」について知りたいけど、長々と説明されるのはイヤだという人のため、簡単にまとめて紹介したいと思います。

 

 

出典:https://wondertrip.jp/

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薩英戦争

発端

文久2年(1862) に発生した生麦事件が発端となり薩英戦争に発展した。

生麦事件とは、外国人が多く居留していた横浜の近くにある武蔵国生麦村で薩摩藩の行列を乱したイギリス人4名のうち3名を藩士・奈良原喜左衛門、海江田武次らが殺傷したもの。

開戦

この生麦事件でイギリスは幕府から賠償金10万ポンドを受け取りましたが、薩摩藩に対しては犯人の引き渡し、および被害者遺族への「妻子養育料」として2万5000ポンドを要求しようとしました。

そして文久3年(1863)、公使代理・ジョン・ニールは薩摩藩との直接交渉のため、7隻の艦隊で鹿児島湾に向かいます。

襲来を知った薩摩藩は、寺田屋騒動の関係者(西郷信吾など)の謹慎まで解いて総動員体制で迎え討とうとしました。

薩摩藩がイギリス側の要求をはねつけると、ニールは武力行使に出ることを通告します。

このとき、生麦事件の加害者・奈良原喜左衛門、海江田武次らはイギリス艦が薪水・食料を求めたのに対して奇襲を計画し、スイカ売りに変装して艦隊に接近しましたが、乗船を許されずに失敗に終わっています。

イギリスは賠償金の交渉を有利に運ぶため、薩摩の汽船3隻を掠奪しました。

すると、これにすぐさま反応した薩摩藩は、砲台からイギリス艦を砲撃し薩英戦争が開戦となりました。

 

出典:http://indoor-mama.cocolog-nifty.com/

 

激戦

不意を突かれたイギリス艦隊は一度戦場から離脱して戦列を整え、旗艦・ユーライアラスを先頭に台場に向けて砲撃を開始します。

薩摩藩は砲台・台場から数百発の大砲を打ち、接近する艦隊に小銃隊も狙撃を行いました。

かねてよりの暴風雨の影響で浸水し、さらに射程距離が短い大砲での応戦で薩摩藩は苦戦しますが、イギリス艦隊も暴風雨による機関故障や操艦の誤りなどで不利な状況に陥っていました。

そして薩摩藩が放った一発が旗艦・ユーライアラスに命中。

軍議室で爆発して、艦長、司令や副長などが戦死しました。

艦隊の最高責任者・キューパー提督も、この時にブッ飛ばされて転落したものの、負傷しただけで命は助かりました。

城下ではイギリス艦隊の艦砲射撃で火災が起こり、民家、侍屋敷、寺社などの多くが焼失していましが、予想外の激しい抵抗にあったイギリス艦隊は弾薬、石炭燃料の消耗や、多数の死傷者を出したため撤退を決意し、横浜に戻っていきました。

被害

一方、イギリス艦隊の損害は、大破1隻・中破2隻、死傷者63人。

薩摩藩は祇園之洲砲台で税所清太郎が戦死し、守備兵8名が負傷。市街地では守衛兵が4人が死亡、5人が負傷しただけでした。

しかし、薩摩藩の物的損害は非常に激しく、台場の大砲8門が破壊され、藩汽船3隻、琉球船3隻、赤江船2隻が焼失、集成館、寺社、民家350余戸、藩士屋敷160余戸など市街地の1割が焼失してしまいました。

 

出典:http://www.japanusencounters.net/

 

評価

国内では朝廷が薩摩藩の攘夷実行を称えて褒賞を下しました。

一方、世界最強と謳われたイギリス海軍が撤退した事実は、西洋諸国の間に「日本を侮るべきではない」という印象を植えつけました。

またイギリス本国は、戦闘が始まる前に幕府から多額の賠償金を得ているにも関わらず、鹿児島の民家への射撃は必要以上の攻撃であったとして、キューパー提督を非難しています。

講和

和睦交渉では、薩摩側はイギリス艦の薩摩汽船を掠奪した件を追求し、イギリス側は生麦事件を挙げて紛糾しましたが、幕府側の仲裁で薩摩藩はイギリスからの軍艦購入を条件に扶助料を出すことを決め、これにイギリス側は承諾しました。

そして薩摩藩は2万5000ポンド(6万300両)を幕府から借りて支払いましたが、最終的にこれを踏み倒しました。

また、講和条件の一つである生麦事件の加害者は「逃亡中」として処罰されませんでした。

この薩英戦争により、イギリスは薩摩を高く評価するようになり、薩摩藩も欧米文明と軍事力を改めて理解し、友好関係を深めていきました。

 

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