大河ドラマ西郷どん(せごどん)
一君万民(いっくんばんみん)
草莽崛起(そうもうくっき)
大河ドラマ西郷どん(せごどん)で、薩摩藩の有馬新七、長州藩の久坂玄瑞、土佐藩の吉村虎太郎ら尊王攘夷思想を持った志士たちが数多く登場しますが、彼らは幕府による政治の行き詰まりを感じて国政を改革しようという信念のもとに動いていました。
そんな尊王攘夷志士たちを駆り立てていたのは、吉田松陰らが唱えた「一君万民(いっくんばんみん)」、「草莽崛起(そうもうくっき)」という考え方です。
今回は、幕末以降の日本に多大な影響を与えた「一君万民(いっくんばんみん)」、「草莽崛起(そうもうくっき)」について簡単にに紹介していきます。
出典:https://item.rakuten.co.jp/
一君万民(いっくんばんみん)
『一君万民』とは「ただ一人の君主だけに権威・権限を認め、他の人民には原則として身分差を認めない」とする主張。
幕末に長州藩士・吉田松陰などが唱えて、「倒幕」に燃える尊王攘夷派の志士たちに多く支持されました。
明治新政府は発足当初こそ、華族制度や士族制度などの旧来の身分制度を継承していましたが、廃藩置県・徴兵令・秩禄処分・廃刀令など次々と特権身分に対する政策を強行しました。
その後も『一君万民論』は基づいて、日本は天皇の権威強化と身分特権の縮小が行われ、特権身分制度に疑問を持った華族自ら爵位を返上する者も現れました。
そして昭和に入ると青年将校などが『一君万民論』を支持し、太平洋戦争を迎えることになります。
戦時中は『一君万民論』によって天皇の権威が強調されることがありましたが、敗戦後の占領下では唱える者がいなくなり、現在では皇族以外の身分制度は憲法によって完全に廃止となっています。
吉田松陰
草莽崛起(そうもうくっき)
『草莽(そうもう)』とは「民間にあって地位を求めず、国家の危機に忠誠を尽くして行動に出る人」のこと。
また『崛起(くっき)』とは「急に起き立つ。抜きんでるようになる」こと。
この二つの言葉を合わせた『草莽崛起』とは、幕末期の日本においては特別な意味を持ち「身分を越えて立ち上がれ」という言葉になりました。
江戸末期に幕府の権威が弱まってくる中で、身分差のため幕府に対して直接意見できない者(豪農・知識人・下級武士)たちは自らを『草莽』になぞらえて政治的主張をする者が現れました。
そして外国船の来航によって日本中が揺れる中、幕府の政治に批判を行う『草莽』たちは尊王論や攘夷論と結びついていきます。
特に長州藩士・吉田松陰らは『草莽崛起論』を唱えて、武士以外の人々や武士の身分を捨てた脱藩浪士たちを『草莽』と呼び、身分を越えて国の変革に関与していくべきであると主張しました。
この松陰に触発された『草莽』たちは、やがて尊王攘夷運動や倒幕に参加して幕末の動乱を巻き起こします。
奇兵隊や天誅組、赤報隊など、多くの『草莽』集団が国を変えようと立ち上がりましたが、幕府が倒れたあとに新政府へ参加できた者は非常に少数でした。
『草莽』たちの大半は、幕府政治の中で犯罪者として、新政府内では政治的敗者として姿を消していったのです。