大河ドラマ西郷どん(せごどん)
蛤門と乾門
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第27話で勃発する禁門の変(蛤御門の変)
京に攻め入ってくる長州藩の暴発に、西郷吉之助率いる薩摩藩は戦闘を避け、当初は「乾門」を守っていました。
しかし、長州藩が蛤門を突破しようとすると吉之助は、急遽応援に駆けつけてついに戦闘に巻き込まれていきます。
今回は、禁門の変の別名ともなっている蛤御門の変の「蛤門」と西郷が最初に布陣していた「乾門」の名前の由来について簡単に紹介していきます。
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蛤門(はまぐりもん)
蛤御門は現在の京都御苑の外郭九門の一つで、本来の正式名称は「新在家御門(しんざいけごもん)」といいました。
御所が火災に遭った際、滅多に開くことがなかった新在家御門が開き、固く閉じているハマグリが火によって開くことになぞらえて「蛤御門」と呼ばれるようになったといわれます。
なお、由来となった火災は、寛文13年(1673年)、宝永の大火(1708年)、天明の大火(1788年)など様々な説があります。
元治元年(1864)の禁門の変では、蛤御門は会津藩、桑名藩、薩摩藩の防衛拠点として位置づけられ、門の周辺が長州藩との激戦地となりました。
現在でも命中した弾痕が残っていますが、この門は明治になってから移設されたもので、以前は現在よりも30メートルほど東の位置に建てられていました。
乾門(いぬいもん)
蛤御門は現在の京都御苑の外郭九門の一つで、名称は御所から見て北西(乾・戌亥)の方角にあることに由来している。
元治元年(1864)の禁門の変では、西郷隆盛が率いる薩摩藩が守り、戦況をみて蛤門へ援軍を送ったことで勝利することになった。