西郷どん関連

大河ドラマ西郷どん【島津忠剛・ただたけ】於一(篤姫)の実父は藩主・島津斉彬の願いで於一を島津本家の養女に送り出す。

投稿日:2018年2月3日 更新日:

大河ドラマ西郷どん(せごどん)
於一(篤姫)の父
島津忠剛(ただたけ)

大河ドラマ西郷どん(せごどん)で藩主の島津斉彬は、一族の中にあって利発な於一(篤姫・天璋院)を気に入り、自分の養女として将軍家に嫁がせようとします。

その後、北川景子が演じる於一は、のちに又吉先生が演じる第13代将軍・徳川家定の妻となりますが、そもそも於一は島津斉彬の娘ではなく、庶流である今和泉島津家の出身。

そんな於一の実の父親は、島津忠剛といいます。

大河ドラマでは父・忠剛の死去を聞き、於一は悲しみのあまり姿を消すなど、娘にも愛されていた島津忠剛。

あまり情報はありませんでしたが、今回はこの島津忠剛と、今和泉島津家について簡単に紹介します。

 

 

出典:https://www.instagram.com/

スポンサーリンク

 

 

島津忠剛(ただたけ)

江戸時代後期の今和泉島津家第10代当主。第9代薩摩藩主・島津斉宣の七男で、第10代藩主・島津斉興の異母弟にあたる。

忠剛は文化3年(1806年)に生まれ、当初は花岡島津家・島津久賢の養子に出されていたが、のちに鹿児島に戻され、文政8年(1825年)に今和泉島津家・島津忠喬の養子になって家督を継いだ。

藩政改革(特に財政)で成果をあげていた調所広郷の協力で、家中の財政改革に成功した。

正妻の島津久丙の娘・お幸との間に、第13代将軍・徳川家定の継室となった於一(篤姫・天璋院)がいる。

 

 

スポンサーリンク

 

 

今和泉島津家

今和泉島津家は、現在の指宿(いぶすき)市付近を統治した薩摩藩の島津家の支族。

起源は鎌倉時代にさかのぼり、島津家の第4代・島津忠宗の次男である島津忠氏より始まった家系で、室町時代には一時途絶えていた。

江戸時代になって第5代薩摩藩主・島津計継豊が、弟の島津忠郷に名跡を相続させ、今和泉島津家を再設した。

 

 

スポンサーリンク

大河ドラマ西郷どん(せごどん)あらすじ・ネタバレ・感想・期待度まとめ【初回から最終回まで】
大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」全話 あらすじ・ネタバレ・感想・期待度まとめ この記事では、2018年NHK大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」全47話のあらすじ・
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の【説明記事一覧】疑問に思った内容や人物を簡単に紹介!
大河ドラマ西郷どん(せごどん) 背景・関連記事・説明記事一覧 この記事では、大河ドラマ西郷どん(せごどん)の本編にある背景や、史実をもとに紹介した関連記事、疑問に思うワ

スポンサーリンク

-西郷どん関連

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

西郷どん(せごどん)月照と吉之助の辞世の句の意味とは?なぜ切腹ではなく錦江湾で心中だったのか?

大河ドラマ西郷どん(せごどん) 月照の西郷吉之助の辞世の句 切腹を選ばなかった理由とは 大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第17話で、月照と西郷吉之助は失意のうちに冬の錦江湾に入水自殺を試みました。 こ …

大河ドラマ西郷どん(せごどん)論語とは?名君・斉彬がすぐに改革をしなかった理由は、論語の『襲封(しゅうほう)して3年~』の一節から

大河ドラマ西郷どん なぜ、斉彬はすぐに改革しなかったのか? 論語『襲封(しゅうほう)して3年~』の意味 大河ドラマ西郷どんの第5話「相撲じゃ!相撲じゃ!」の冒頭、新藩主に就任した島津斉彬に対し、有村俊 …

廃刀令|西郷どん(せごどん)侍の魂を奪った廃刀令は持ち歩きはOKなのか?

大河ドラマ西郷どん(せごどん) 廃刀令 大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第45話では、政府への不満を強める不平士族たちに追い打ちをかけるように「廃刀令」が施行されます。 『刀は武士の魂』と私学校の生徒 …

【ロッシュ】大河ドラマ西郷どん(せごどん)一橋慶喜に脅しをかけたフランス公使とは?幕府に肩入れし無念の帰国

大河ドラマ西郷どん(せごどん) ロッシュ 大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第32話、かつて井伊直弼が結んだ通商条約で約束された兵庫港の開港がいまだ実行されていなかったため、業を煮やしたフランス公使・ロ …

西郷どん(せごどん)京都守護職と京都所司代とは?松平容保・定敬兄弟が争乱の京都を守るために就いた重職!

大河ドラマ西郷どん(せごどん) 京都守護職と京都所司代 大河ドラマ西郷どん(せごどん)で、会津藩主・松平容保と桑名藩主・松平定敬の兄弟が尊王攘夷過激派から京都を守るために就いた職が京都守護職と京都所司 …