篠原国幹|西郷どん(せごどん)マントを着たド派手でマヌケな男?「習志野」の語源にもなったとされる文武両道の士の生涯

   

大河ドラマ西郷どん(せごどん)
篠原国幹

大河ドラマ西郷どん(せごどん)で榊英雄が演じるのが、西南戦争で壮絶な死を遂げる「篠原国幹」という男。

「篠原国幹」は若い頃から文武両道の士として名を馳せ、戊辰戦争でもその勇名を轟かせていますが、西郷隆盛に隠れていまいちメジャーになりきれない人物です。

この記事では、明治天皇にも評価され、ド派手な格好で戦場の先頭に立った「篠原国幹」について簡単に紹介していきます。

 

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篠原国幹

篠原国幹は、天保7年(1837)に鹿児島城下の加治屋町で篠原善兵衛の子として生まれのた。

幼くして藩校・造士館に入った篠原国幹は和漢学を修め、藩校の句読師となった一方で、剣術は薬丸自顕流、常陸流、江戸で練兵館の入って神道無念流を学ぶなど、文武両道の士として名を馳せた。

文久2年(1862)、篠原国幹は過激派尊王攘夷志士・有馬新七らと挙兵討幕を計画するも、寺田屋騒動によって鎮圧された。

その後、鳥羽・伏見の戦いに薩摩藩の小隊長となって参戦し、続いて東征軍に従って江戸に進軍。

上野寛永寺に立て籠る彰義隊を殲滅させた戦いでは、陣頭に立って正面の黒門口攻めを指揮し、その勇猛さを天下に知らしめた。

維新後の明治4年(1871)、常備隊を率いた西郷隆盛に従い篠原国幹も上京し、廃藩置県時には陸軍大佐に任命された。

その後、近衛長官にも任命された篠原国幹は、軍事演習時に感心された明治天皇から「篠原に見習うように」との言葉をいた頂いた。

以来、この軍事演習の場所を「習志野」と名付けたという。

明治6年(1873)に征韓論争に負けた西郷隆盛が下野すると、近衛長官を辞職して鹿児島へ帰った。

この時、篠原国幹は天皇からの引き止めにも聞く耳を持たず、政府を去ったという。

 

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鹿児島に戻った篠原国幹は、明治7年(1874)に青年教養のため桐野利秋(中村半次郎)、村田新八らと共に私学校を設立し、その監督にあたった。

明治10年(1877)、弾薬庫襲撃事件や西郷刺殺計画などが発覚すると、篠原国幹は生徒たちと同調して出兵に賛成。

篠原国幹は一番大隊指揮長となって熊本攻城戦に参加し、村田新八らとともに指揮した。

政府軍の南下が始まって戦いが激化すると、熊本城攻囲を池上四郎に任せた篠原国幹は、田原に出張本営を設けて奮戦。

政府軍を撃退するなど活躍するが、続く菊池川の戦いでは「弾丸が欠乏した」という理由で勝手に戦線離脱するなどの失態も犯している。

 

その後、政府軍の奇襲に遭った篠原国幹は数発の弾丸を受けて絶命。享年41。

このとき、篠原国幹はマントをひるがえして陣頭で部隊を指揮しており、その派手な姿を政府軍にいた同郷出身の元部下・江田国通によって確認され、狙撃手に撃たれたという。

ちなみに篠原国幹配下の兵士たちは、敵討ちのため戦意が上昇し、江田国通を討って官軍を退けている。

 

 

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