大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」
知藩事
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第39話では、いつの間にか「薩摩藩」は消滅し、代わりに「鹿児島藩」が誕生し、藩のトップだった「藩主」は「知藩事」と名を変えています。
この「知藩事」はこれまでの「藩主」が持っていた絶大な権力を持てなかったため、お気に入りだった大久保利通に「裏切られた」と怒り、西郷隆盛に八つ当たりする元薩摩藩の国父・島津久光。
この記事では、薩摩の藩主・島津茂久(久光の子)が任命された鹿児島藩の「知藩事」について簡単に紹介していきます。
島津久光「知藩事?なんじゃそりゃ?」
知藩事
知藩事は明治時代初期に置かれた地方行政官の名称で、明治2年6月17日(1869年7月25日)に領地・領民を朝廷に返還した政策「版籍奉還」によって旧藩主274名が任命された役職。
ちなみに官名だけを単独で用いる場合は「知藩事」であるが、藩名と結合させて用いる場合は「○○藩知事」としている。
知藩事は明治4年7月14日(1871年8月29日)の「廃藩置県」が実施されるまでの約2年間、地方の経済、司法、軍事、教育などの職務にあたっていた。
知藩事の職については従来の藩主と同じく世襲が認められており、独自の軍隊・司法組織などを持つことも許されていた。
しかし、知藩事は藩の実収石高の10分の1という給与制で藩財政からは完全に切り離され、中央政府が定めた規定の中で実務についても厳しく監督されていた。
幕藩政治から一歩進んだ政策で新政府は中央集権化を推し進めようとしたが、当時の藩領は複雑に入り組んでおり、年貢の徴収は非効率的であった。
このため、新政府は国家財政の安定化を図るため、わずか2年で「廃藩置県」を実施して中央集権を確立させていく。
そして「廃藩置県」によって知藩事たちは全員失職して華族となり、「藩」の代わりに置かれた「県」には政府から「県令」が派遣された。
鹿児島藩の知藩事、鹿児島県の県令
大河ドラマ西郷どんの舞台である薩摩藩は「版籍奉還」によって鹿児島藩と名を変え、藩主だった島津忠義(茂久)が知藩事となった。
その後「廃藩置県」が断行されると、県令には大山綱良(格之助)が任命された。
島津忠義の父・久光は「廃藩置県」への抗議のために一晩中花火を打ち上げ、さらに自分を県令にするよう強く要求したが認められることはなかった。
島津久光「花火じゃぁぁぁ~」
一方、県令となった大山綱良は西郷隆盛が下野して鹿児島に帰ってくると新政府に租税を納めず、公金を用いて私学校設立などの援助を行い、私学校出身者を県官吏に抜擢し、鹿児島県を独立国家のような状態にした。
そして西南戦争終結後、県令・大山綱良は罪を咎められて斬首となり、2代県令には高知県出身の岩村通俊が就任することとなった。
大山綱良「悔いはない!」
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