西郷どん関連

大河ドラマ西郷どん(せごどん)徳川家茂(いえもち)/慶福(よしとみ)井伊直弼に擁立された篤姫を嫌う少年将軍は実は名君だった?

投稿日:2018年1月24日 更新日:

大河ドラマ西郷どん(せごどん)
徳川家茂(徳川慶福)

大河ドラマ西郷どんで、一橋派に勝利した井伊直弼に擁立されて、徳川家定のあとの14代将軍になる徳川家茂(徳川慶福)。

篤姫は就任したばかりの少年将軍・徳川家茂(徳川慶福)に、自分を母と思って頼って欲しいと微笑みかけますが、当の徳川家茂(徳川慶福)には信用してもらえません。

これは井伊直弼から何か吹き込まれていたためと思われますが、篤姫も負けずに「母」として江戸城に留まり、命を懸けて徳川家茂(徳川慶福)を守る決意を固めます。

史実の篤姫は、実は一橋慶喜よりも徳川家茂(徳川慶福)の人柄を気に入っていたようで、今回は「名君」としての逸話も混ぜながら徳川家茂(徳川慶福)を簡単に紹介したいと思います。

 

 

出典:https://www.instagram.com/

スポンサーリンク

 

 

 

徳川家茂(いえもち)

 

徳川家茂は、弘化3年(1846年)に紀州藩第11代藩主・徳川斉順の次男として江戸で生まれた。

父は生まれる前に薨去しており、藩主を務めていた叔父の第12代藩主・徳川斉彊も嘉永2年(1849年)に死去したため、4歳で家督を継いだ。

将軍・徳川家慶より1字を賜い慶福(よしとみ)を名乗ったが、幼少のため隠居していた元藩主・徳川治宝が補佐していた。

治宝が死去すると、紀州藩は家老の水野忠央が実権を握って藩政改革派が弾圧された。

家茂は生まれてから一度も江戸を出たことがない名ばかりの紀州藩主であった。

第13代将軍・徳川家定の後継者問題では、家茂は将軍家に最も近い血筋であることを根拠に、大老・井伊直弼ら南紀派の担がれ、安政5年(1858年)に13歳で第14代将軍となり名を家茂と改めた。

しかし「将軍後見職」として一橋慶喜がいたため、将軍としての権力は抑えられていた。

 

 

スポンサーリンク

 

 

将軍になった家茂は、文武両道を修めるように努め、ささやかな楽しみすら捨て、良い将軍であろうと心がけていた姿は幕臣達を感激させたという。

このころの家茂には、以下のような逸話がある。

ある日、習字の先生であった老臣・戸川安清は、家茂に書を教えていた最中に水をかけられた。

そして家茂は、戸川のずぶ濡れの姿を見て笑い「あとは明日にしよう」と言って立ち去ってしまう。

同席していた側近達が、家茂のヒドイ行いに嘆いていると、戸川一人が泣いている。

側近たちが理由を尋ねると、戸川は老齢のために書を教えている最中に、失禁してしまった事を告げた。

当時は将軍の前で粗相をすれば、厳罰は当たり前の時代。

それを察した家茂は、わざと水をかけて戸川の失禁を隠し、「明日」も教えに来いと暗に言ったのである。

戸川が泣いていたのは、家茂の優しさ、細やかな配慮に感激したからであった。

 

 

出典:https://ja.wikipedia.org/

 

スポンサーリンク

 

 

家茂は、文久2年(1862年)に和宮と結婚。

和宮とは政略結婚ではあったが、2人の関係は良好であったといわれる。

文久3年(1863年)には3,000人を率いて上洛し、孝明天皇に攘夷を約束した。

家茂は、天皇や一橋慶喜らと共に賀茂神社に参拝しているが、その後の石清水八幡宮へ参詣を欠席。

源氏にゆかりのある神社で、直接天皇から攘夷の命を下されたくなかったからだといわれている。

名代として一橋慶喜が呼び出されたが、慶喜も体調不良としてその場から逃げた。

この一件から尊皇派諸士は家茂に反発し、将軍殺害予告の落首が掲げられたほか、慶喜も道中で襲撃されている。

その後、朝廷は家茂の江戸帰還をなかなか認めなかった。

そこで老中格の小笠原長行は、軍艦と軍勢1400を率いて大阪に向かい、朝廷を威圧して家茂は帰国を許された。

 

 

スポンサーリンク

 

 

慶応元年(1865年)、兵庫開港を決定した老中・阿部正外らが朝廷によって処罰されると、家茂は将軍職の辞意を朝廷に提出。

天皇は慌てて辞意を取り下げさせ、その後の幕府人事へ干渉をしないと約束する。

慶応2年(1866年)、第2次長州征伐のため再び上洛した家茂は、大坂城で病に倒れた。

これを聞いて天皇は、すぐさま医師を派遣し、江戸からも天璋院や和宮によって医師が派遣されたが、治療の甲斐なく家茂は死去した。享年21歳。

家茂から信頼されていた幕臣・勝海舟は「長生きしていてれば英雄になれた人」と賞賛し、晩年は家茂の名を聞いただけで目に涙を浮かべたという。

 

 

スポンサーリンク

大河ドラマ西郷どん(せごどん)の【説明記事一覧】疑問に思った内容や人物を簡単に紹介!
大河ドラマ西郷どん(せごどん) 背景・関連記事・説明記事一覧 この記事では、大河ドラマ西郷どん(せごどん)の本編にある背景や、史実をもとに紹介した関連記事、疑問に思うワ
大河ドラマ西郷どん(せごどん)あらすじ・ネタバレ・感想・期待度まとめ【初回から最終回まで】
大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」全話 あらすじ・ネタバレ・感想・期待度まとめ この記事では、2018年NHK大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」全47話のあらすじ・

スポンサーリンク

 

-西郷どん関連

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

関連記事

大河ドラマ西郷どん(せごどん)御台所(みだいどころ)とは?将軍・家定の妻となった篤姫を称した「御台所」はどんな立場だったのか

大河ドラマ西郷どん(せごどん) 御台所(みだいどころ) 大河ドラマ西郷どんで、北川景子が演じる於一(篤姫)は、又吉直樹が演じる第13代将軍・徳川家定に嫁ぐことが決定します。 その中で、於一(篤姫)は「 …

【辞官納地】大河ドラマ西郷どん(せごどん)慶喜の官位は?徳川家の石高は?慶喜を追い詰めた小御所会議の決定事項

大河ドラマ西郷どん(せごどん) 辞官納地 大河ドラマ西郷どん(せごどん)で「大政奉還」と行った徳川慶喜に対し、西郷吉之助たち討幕派はおとなしくなると思いきや、岩倉具視や大久保一蔵はあくまで武力討幕の道 …

大河ドラマ西郷どん(せごどん)中村半次郎(桐野利秋)一撃必殺!西郷に助けられた貧乏侍は新選組も恐れた人斬り半次郎

大河ドラマ西郷どん(せごどん) 中村半次郎(桐野利秋) 大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第3話「子供は国の宝」で、登場したのは幼少期の中村半次郎。 芋泥棒と呼ばれ、大人たちにボコボコにされそうになった …

【そうせい候・毛利敬親(慶親)】西郷どん(せごどん)明治維新を主導した長州の藩主は暗君なのか?真の名君か?

大河ドラマ西郷どん(せごどん) そうせい候・毛利敬親(慶親) 大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第27話で禁門の変を引き起こした長州藩は、第28話になって幕府から長州征伐の軍をおこされます。 日本国内で …

大河ドラマ西郷どん(せごどん)島津久光 マザコン?「国父」として幕末の薩摩藩を引っ張った西郷生涯の敵・島津久光とは

大河ドラマ西郷どん(せごどん) 島津久光 大河ドラマ西郷どんで、西郷吉之助(隆盛)の「生涯の敵」」として描かれるのが青木崇高が演じる島津久光。 有能な兄・島津斉彬と比べられたマザコン島津久光は、「お由 …