大河ドラマ西郷どん(せごどん)
西郷園(その)
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第29話では、柏木由紀が演じる西郷園が、西郷家の次男・西郷吉二郎の妻として登場します。
この西郷園は、いつの間にか吉二郎と結婚していて、さらにお腹に子供までいるのですが、これは全くのフィクションです。
史実での西郷園には子供をもうけたことはありませんし、吉二郎との結婚ももう少しあとのこことでした。
西郷家の極貧生活を支えたことは間違いないのですが、今回は史実での西郷園の生涯について簡単に紹介していきたいと思います。
西郷園(その)
西郷園は吉二郎の再婚相手だった
西郷園は旧姓は「仁礼(にれ)」といい、西郷隆盛の弟・吉二郎の後妻となった人物です。
父は一説によると薩摩藩の留学生として米国に留学し、明治時代に海軍大臣なった仁礼景範といわれています。
25歳の頃、慶応3年(1867)に西郷吉二郎と結婚し、西郷家に入りました。
夫・西郷吉二郎
大河ドラマ西郷どんでは描かれませんが、史実では吉二郎にはマスという先妻がいました。
このマスは、西郷吉之助が沖永良部島に流される前から吉二郎に嫁いでいて、極貧生活に耐えながらも長女「美津(みつ)」と、長男「勇袈裟(ゆうげさ)」を産んでいます。
しかし、西郷吉之助と岩山糸が再婚した年(1865)の暮れ、マスは甲突川の水害で体調を崩し、二人の子供を残して亡くなったようです。
つまり、大河ドラマでの吉之助の再婚当時は、まだマスは生存していて、園はまだ吉二郎の妻ではありませんでした。
糸と西郷家を支えた西郷園
園は結婚後、西郷吉之助の妻・糸と同居し、寅太郎(吉之助と糸の長男)を共に育てました。
明治元年(1868)に戊辰戦争が起こると夫・吉二郎は出征し、新潟での戦いで負傷して亡くなってしまいます。享年36。
園と吉二郎の結婚生活は約1年半しかなく、二人の間には子はいませんでした。
しかし、その後も園は西郷家に留まって、先妻・マスが産んだ2人の子を育てていきます。
明治3年(1870)、西郷隆盛のはからいで、当時6歳の長男・勇袈裟が当主となって「隆準(たかのり)」と改名し分家となりました。
明治9年(1876)には、長女・美津が鹿児島に開校したばかりの女学校に入学します。
その後、西南戦争が起こると、園は西郷家の子供たちを連れて避難。
終戦後に戻って、隆盛を亡くした糸、小兵衛を亡くした松子と暮らしました。
明治18年(1885)になると、長男・隆準は寅太郎のドイツ留学に同行し、園は明治29年(1897)に死去しました。