大河ドラマ西郷どん(せごどん)
辺見十郎太
大河ドラマ西郷どん(せごどん)で、持永雄恵が演じるのが元薩摩藩士で西郷隆盛を慕う「辺見十郎太」という人物。
戊辰戦争で活躍した「辺見十郎太」ですが、どうやらこの人は問題児としてのクセが強く、ザ・体育会系の悪童というべき男。
今でもよく元オリンピック選手がパワハラでとか、女性問題でとか、そういうやつですww。
この記事では、西郷隆盛も飼いならすのに苦労したであろう「辺見十郎太」について簡単に紹介していきます。
辺見十郎太
辺見十郎太は名を「昌邦」といい、嘉永2年(1849)に辺見仲直の長男として薩摩で生まれた。
身長は6尺(約180センチ)もあり、薬丸自顕流の達人でもあった辺見十郎太は、その風貌から三国志の張飛のように描かれたこともあったという。
幕末の動乱の折、辺見十郎太は別府晋介らと同じく、戊辰戦争のときに薩摩藩二番小隊長として参加し、その後も東北各地を転戦して活躍。
明治維新後は鹿児島常備隊小隊長となり、のちに篠原国幹の下で近衛陸軍大尉となった。
辺見十郎太は明治6年(1873)に皇居が火事になった際に、新宿の妓楼で遊女たちと遊んでいたために救援に間に合わず、同僚から糾問され、切腹まで迫られた。
この時、西郷隆盛に助けられて、以後は心を入れ替えて職務に努めるようになったという。
征韓論争で敗れた西郷隆盛が辞職して下野すると、辺見十郎太も辞職して鹿児島に戻る。
その後、鹿児島では青年教養のための私学校設立にも尽力し、県令・大山綱良(格之助)のもと宮之城郷の区長も務めた。
明治10年(1877)に西南戦争が起こると、辺見十郎太は薩摩三番大隊一番小隊長として出征。
熊本城攻囲戦で活躍した辺見十郎太は、こののちに雷撃隊大隊長となった。
常に先陣をきって突撃する辺見十郎太は部下からの信頼も厚く、勇猛な姿を率先して示すことで隊の士気を高めていた。
一方、退却する味方には厳しく、斬り殺して部下にその生き胆を食べさせて「お前らもこうなるぞ」と脅していたという。
西郷隆盛最期の地・城山での戦いでは、西郷隆盛の介錯を務めた別府晋介と刺し違えて死んだとも、突撃して戦死したとも伝えられる。享年29。
西郷どん(せごどん)あらすじ
西郷どん(せごどん)記事まとめ