大河ドラマ西郷どん(せごどん)
来島又兵衛
大河ドラマ西郷どん(せごどん)でプロレスラー長州力が演じるのは、長州藩士・来島又兵衛(くるしままたべえ)。
第27話で起こる禁門の変では、この来島又兵衛が思いっきり『リキラリアット』を見せてくれますww。
完全に長州力に寄り過ぎの演出・・・というか、もはや長州力以外、なにものでもない・・・。なかなかNHKさんも思い切ったことしてくれますね。
この記事では、プロレスラー長州力が演じた長州藩士「長州力」・・いや「来島又兵衛」の生涯について簡単に紹介していきます。
長州藩士・長州力w
「キレてないですよ」
来島又兵衛(くるしままたべえ)
来島又兵衛は、文化14年(1817)に長門国の下士・喜多村政倫の次男として生まれました。
幼い頃から血気盛んだった又兵衛は合戦ごっこに明け暮れ、ガキ大将として有名になり、天保7年(1836)に上士・来島政常に惚れ込まれて婿養子となりました。
その後、又兵衛は九州に赴いて柳川藩の大石神影流・大石進から剣術を学び、さらに江戸に剣術修行に出かけました。
剣豪として名を上げた又兵衛は帰国後、腕を買われて藩主の護衛などを務める手廻組に入隊し、駕籠奉行などの要職を歴任しました。
嘉永2年(1851年)、養父の政常が死去すると、又兵衛は来島家の名前を継承し『来島又兵衛政久』に改名しました。
尊王攘夷の機運が高まった文久3年(1863年)、来島又兵衛は藩命により猟師を集めた狙撃隊を率いて上洛し禁裏守護の任にあたります。
しかし、八月十八日の政変が起こると、尊王攘夷派は京都から追放されてしまい、来島又兵衛も長州に戻ることになりました。
リキラリアット!!
長州では高杉晋作の『奇兵隊』の影響を受けて、来島又兵衛は久坂玄瑞と共に『遊撃隊』を組織。
遊撃隊の総督となった来島又兵衛は京都での勢力挽回のため、武力を用いて上洛を図る「進発論」を主張しますが、高杉晋作らに反対され受付けられませんでした。
諦めきれない来島又兵衛は長州を離れ、京都に潜伏し久坂玄瑞らと薩摩藩・島津久光や会津藩・松平容保の暗殺を計画。
警備厳重のため暗殺は実行することができませんでしたが、参預会議の解体によって公武合体派が分裂を見せると来島又兵衛は「今こそ好機」と奮い立ちます。
元治元年(1864年)、来島又兵衛は長州に戻って久坂玄瑞と猛烈に「進発論」を主張。
藩では慎重論もありましたが、長州藩士が多く斬られた池田屋事件が勃発すると一気に藩論は「進発論」に傾き、出陣を決定します。
来島又兵衛が遊撃隊を率いて京に入ると、禁裏御守護総督・一橋慶喜から撤兵要求の使者がやってきました。
久坂玄瑞は朝廷からの退去命令には背くべきではないとして兵を引き上げる案を出しますが、来島又兵衛は猛反対し、参謀の真木和泉の同意を得て進撃を決定。
禁裏内の蛤御門の戦いで来島又兵衛は会津藩を追い詰めますが、西郷吉之助が指揮する薩摩藩の銃撃隊・川路利良の狙撃で胸を撃ちぬかれてしまいます。
重傷を負い、助かる見込がないことを悟った来島又兵衛は、甥の喜多村武七に介錯を命じて自ら槍で喉を突いて自害しました。享年48。
この来島又兵衛の敗戦で長州軍は総崩れとなり、長州藩は「朝敵」の汚名を被ることになったのです。