【禁門の変】大河ドラマ西郷どん(せごどん)長州力も銃には勝てずw京都が戦火に見舞われ吉之助が嘆いた長州藩の暴発

   

大河ドラマ西郷どん(せごどん)
禁門の変(蛤御門の変)

大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第27話で勃発する禁門の変(蛤御門の変)

京に攻め入ってくる長州藩の暴発に、西郷吉之助(鈴木亮平)は桂小五郎(玉山鉄二)を信じて戦闘を避け、退去させる方法を最優先としていました。

しかし、長州藩が蛤御門を突破しようとすると吉之助は覚悟を決め、長州藩の大将・来島又兵衛(長州力)一人に狙いを定めて戦闘に至ります。

吉之助は大将さえ討ち取れば、長州藩は戦は終わると考えていましたが、実際は来島又兵衛を討ち取っても戦闘は止まらず、吉之助も被弾。

負傷した吉之助は本陣に運び込まれ、戦火に焼かれる京の町を見て嘆くことになってしまいます。

今回は、長州藩の挙兵により幕末の京が地獄絵図と化した「禁門の変(蛤御門の変)」について簡単に紹介していきます。

 

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禁門の変(蛤御門の変)

背景

長州藩は急進的な尊皇攘夷論を掲げて朝廷を主導していましたが、文久3年(1863)の会津藩と薩摩藩ら公武合体派のクーデター(八月十八日の政変)によって京都を追われ、政治的主導権を失っていました。

長州藩が追放されたことで過激な攘夷行動は控えられましたが、熱心な攘夷論者であった孝明天皇の意を受けて幕府は攘夷実行(横浜の鎖港など)を受け入れることになります。

しかし、いつまで経っても攘夷実行はなされず、幕府に対する不満が高まり、京都では長州藩に同情する者が朝廷内にも現れました。

一方、長州藩も挽回のため、武力を用いて京都に乗り込み長州の無実を訴える「進発論」が来島又兵衛、真木保臣らによって論じられ始めました。

この「進発論」に対して桂小五郎、高杉晋作らは慎重論を主張して反対します。

当初、長州藩としても慎重論を進めていましたが、京都では参預会議が解体し、公武合体派が次々と国元に帰ったため、来島又兵衛、久坂玄瑞は「今こそ好機」と捉えて出兵を強硬に訴えました。

そんな折、新選組に長州藩士を殺される事件(池田屋事件)が発生し、藩論は完全に進発論に傾いていきます。

そして「進発論」積極派は『藩主の冤罪を帝に訴える』ことを名目に掲げて慎重派を抑え、長州藩は出兵することになりました。

 

「西郷どん」の来島又兵衛

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禁門の変

その後、京都に陣営を構えた長州藩が赦免のための嘆願書を朝廷に提出すると、朝廷内部でも意見が対立。

しかし、孝明天皇から命じられて朝廷は強硬姿勢を取ります。

久坂玄瑞は朝廷からの退去命令に従おうとしましたが、キレた来島又兵衛が許しませんでした。

結局、参謀の真木保臣が来島又兵衛に賛同したことで、ついに長州勢は進撃に至りました。

そして御所の西、蛤御門付近で長州勢は会津・桑名藩兵と衝突して戦闘開始。

長州藩兵は筑前藩が守っていた中立売門を突破し、京都御所内に侵入するなど優勢に進めていましたが、乾門を守っていた西郷吉之助率いる薩摩藩兵が援軍に駆けつけると形勢逆転。

来島又兵衛は薩摩藩士・川路利良の狙撃で重傷を負わされて自害し、長州軍は総崩れとなりました。

 

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開戦に遅れていた真木保臣・久坂玄瑞は、現場に到着してから自軍の敗戦を知りましたが、それでも御所の南方・堺町御門を攻撃しました。

しかし、越前藩兵の防御を突破することはできず、久坂玄瑞は侵入した鷹司邸で自害。

真木保臣は敗残兵を逃がして天王山に立て籠もり、火薬に火を放って自爆しました。

落ち延びた長州勢は長州藩屋敷に火を放ち、さらに会津勢も長州藩士の隠れているとされた中立売御門付近の家屋を攻撃したため、この戦火によって京都市中の約3万戸が焼失しました。

戦後、御所に向けて発砲したことなどから長州藩は『朝敵』とされ、急進的な指導者を失った尊王攘夷運動は大きく後退していくことになりました。

 

出典:http://history.kaisetsuvoice.com/

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