大河ドラマ西郷どん(せごどん)
市来宗介
大河ドラマ西郷どん(せごどん)で前川優希が演じるのが西郷隆盛の妹である市来琴の子・市来宗介。
市来宗介は西郷隆盛たち維新に活躍した世代の子の中では年長者にあたり、隆盛と愛加那の子・菊次郎の良き相談相手でもありました。
母親の琴も西郷家では一番のしっかり者ですし、面倒見の良いところは母親譲りということなのかもしれません。
前年の大河ドラマ「おんな城主直虎」の井伊万千代と小野万福のような関係といえば、一番しっくりくるかな。
この記事では、西郷菊次郎の守役的な働きをみせる「市来宗介」について簡単に紹介しています。
市来宗介
市来宗介は市来家に嫁いだ西郷琴の次男。
父・市来正之丞は藩主・島津斉彬の側近で、子供は3男説、5男説など諸説があるが、長男・嘉納次の誕生の2年後、嘉永2年(1849)頃に宗介は生まれたという。
弟には三男・勘六、四男・政方、五男・宗五郎などがおり、四男・政方は外交官を経て、のちに宮中顧問官となっている。
市来宗介は、慶応2年(1866)の薩長同盟の頃に兄と共に京都の西郷宅に居候していたが、慶応4年(1868)から始まった戊辰戦争では北陸に従軍した兄が、西郷隆盛の弟・吉二郎と共に戦死した。
維新後の明治5年(1872)、市来宗介は西郷隆盛と愛加那の子・西郷菊次郎に同行してアメリカ留学に出発。(菊次郎11歳、市来宗介23歳)
自身の勉学もあったであろうが、菊次郎の保護者としての責任もあったであろうと推測される。
この留学中、西郷隆盛は二度にわたって、アメリカの市来宗介宛てに手紙を送っている。
明治6年(1873)の手紙では、西郷隆盛は明治4年(1871)に東京築地の海軍兵学寮(海軍学校)に入学させた宗介の弟・勘六のことを「他の生徒より抜きに出ている」と伝えている。
帰国後、市来宗介は下野して鹿児島に帰っていた西郷隆盛の吉野開墾社や私学校で指導者となる。
そして明治10年(1877)には西南戦争が勃発。
市来宗介も、西郷菊次郎や弟たちと共に参加して政府軍と戦うが、熊本では末弟の宗五郎(17歳)が戦死。
西郷菊次郎も被弾して足を切断する大怪我を負い、下男の熊吉に担がれて政府軍に投降した。
その後、市来宗介は西郷隆盛の自決を見届けたあと、城山で捕縛されて斬首。享年28。
西南戦争中に西郷隆盛は、医師・ウィリスから貰った大きな懐中時計と、市来宗介がアメリカから持ち帰った小さな金時計を交換している。
西郷隆盛に渡ったその金時計は、城山陥落の際の形見として避難していた母・琴のもとまで届けられた。
母・市来琴
西郷どん(せごどん)あらすじ
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