大河ドラマ西郷どん(せごどん)
紀尾井坂とは
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第9話で伊武雅刀が演じる前水戸藩主・徳川斉昭は、島津斉彬のお使いでやってきた西郷吉之助に対して、幕府と井伊直弼の文句をぶちまけます。
この時、話の中で出てくるのが「紀尾井坂」という坂の名前。
今回は、のちに大久保利通の最期の地として有名になった「紀尾井坂」について簡単に紹介します。
紀尾井坂
紀尾井坂は、都内ではめずらしい八重桜の並木がある東京都千代田区にある坂の名前。
古くは「清水谷坂」、「清水坂」と呼ばれていました。
江戸時代、清水坂周辺には大名屋敷が多く立ち並び、南側に紀州徳川家、北側には尾張徳川家、彦根藩井伊家の屋敷がありました。
幕府の有力な三家があった坂道であることから、江戸の住人たちは紀伊徳川家の「紀」、尾張徳川家の「尾」、井伊家の「井」のそれぞれ一字ずつを取って「紀尾井坂」と呼び出し、いつしか本来の「清水坂」の名称は使われなくなって「紀尾井坂」の名称が一般に広まっていきました。
坂の周辺にある紀尾井町も坂の名前に由来しており、明治維新後に決められたものです。
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大河ドラマ西郷どん(せごどん)で、徳川斉昭は本来、紀伊徳川家の「紀」、尾張徳川家の「尾」、水戸徳川家の「水」の一文字づつを取って「紀尾水坂」と名付けられるはずだった坂を、井伊直弼が自分の権威を見せつけようと「紀尾井坂」と名付けたかのように語っています。
また、斉昭の子・一橋慶喜は坂の名前が「紀尾水坂」にならなかったのは、水戸藩は将軍家から嫌われているために藩邸が江戸城の裏手に配置されたからだと説明しています。
しかし、実際はずっと前から「紀尾井坂」と呼ばれていたもので、この話は大河ドラマの中で井伊直弼を「悪役」として見せるように作られた架空のものであることが分かると思います。
この紀尾井坂は、明治11年(1878年)に内務卿・大久保利通が旧加賀藩士・島田一郎らに暗殺される事件(紀尾井坂の変)が起こりました。
また、坂の上の食違見附でも、明治7年(1874年)に岩倉具視が襲われる事件(喰違の変)が起きています。
様々な惨劇が起きた「紀尾井坂」ですが、坂の上は江戸時代もひどく寂しい場所だったらしく「首くくりの名所」とも言われており、「のっぺらぼう」の怪談が残る江戸の心霊スポットでもありました。
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