大河ドラマ西郷どん(せごどん)
月照
大河ドラマ西郷どん(せごどん)で、尾上菊之助が演じるのが少し怪しい雰囲気を漂わせる尊王攘夷派の僧・月照。
ドラマの中で、西郷吉之助(隆盛)は月照をひと目見て、その美しさに見入ってしまいます。
そんな外見とは違い、月照の思想は激しいもの。
尊王攘夷派のために朝廷工作を行うという、幕府にとっては要注意人物です。
今回は、幕府から追われ、西郷と共に錦江湾に飛びこんだ僧・月照について簡単に紹介します。
月照役 尾上菊之助
月照(げっしょう)
月照は、文化10年(1813年)に大坂の町医者の長男として生まれた。
名は宗久、忍介、忍鎧、久丸。
文政10年(1827年)に、叔父・蔵海のツテで京都の清水寺成就院に入り、のちに住職となった。
京都の公家と繋がりが深かった月照は、近衛家と親戚筋にあたる薩摩の島津家と関りを持つようになり尊皇攘夷運動に目覚める。
将軍・徳川家定の後継者問題で、月照は島津斉彬らの一橋慶喜擁立を目指す一橋派に協力して朝廷工作を行った。
大河ドラマ西郷どんの中でも、西郷は島津斉彬と共に京都を訪れていて、この月照に協力を依頼している。
しかし将軍後継者問題で一橋派の敗北すると、月照は大老の井伊直弼から徹底マークされ、追い打ちをかけるように薩摩では斉彬が死去。
このとき斉彬の訃報を京都で聞いた西郷は、悲しみのあまり殉死しようとしたが、この月照が思いとどまらせたという。
出典:http://pleasure-bit.com/4062.html
安政5年(1858年)に始まった安政の大獄で月照は幕府から追われ、西郷と共に京都を脱出して西郷の故郷である薩摩藩に逃げた。
しかし、幕府に目をつけられたくない薩摩藩は、月照の受け入れを拒否して日向国送りを命じる。
日向送りとは、薩摩国と日向国の国境まで送り届け、その場で斬り捨てるという事実上の死刑。
月照も死を覚悟して、西郷と共に錦江湾に入水自殺した。享年46歳。
辞世の句「大君のためにはなにか惜しからむ薩摩の瀬戸に身は沈むとも」
月照はここで亡くなったしまったが、西郷は奇跡的に息を吹き返して、その後の明治維新へと突き進んでいくことになる。