大河ドラマ西郷どん(せごどん)ジョン万次郎『ラブ』の大切さを教えた劇団ひとりのジョン万次郎は幕末に多大な影響を与えた土佐の漂流者

      2018/05/23

大河ドラマ西郷どん(せごどん)
ジョン万次郎

大河ドラマ西郷どん(せごどん)で、島津斉彬を相撲でブン投げて牢に入れられてしまった西郷吉之助(隆盛)が出会うのが、劇団ひとりが演じるジョン万次郎こと中浜万次郎。

ドラマの中でのジョン万次郎は、大久保正助ら相手に『ラブ』の大切さを説いていますが、実際の万次郎はそんな甘ったるいことが言えないぐらいの経験をしてきた人。

このジョン万次郎の帰国が、西洋知識を吸収しようとしていた幕末の志士や知識人達に計り知れないぐらいの影響を与えました。

今回は、幕末に数奇な人生を送った日本人・ジョン万次郎(中浜万次郎)について簡単に紹介します。

 

 

出典:https://www.instagram.com/

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ジョン万次郎(中浜万次郎)

ジョン万次郎こと中浜万次郎は、文政10年(1827年)に土佐国中濱村の半農半漁の家の次男として誕生。

万次郎は、父が死んだ8歳の頃から働き家族を養っており、寺子屋にも通えなかったことから読み書きも覚えることが出来なかった。

万次郎が14歳の頃、手伝いで漁に出て遭難、5日後に伊豆諸島の無人島・鳥島に漂着。

無人島生活が143日目、アメリカの捕鯨船・ジョン・ハウランド号が現れて救助された。

万次郎は船長・ホイットフィールドから気に入られ、そのまま一緒に航海する道を選び、他の仲間はハワイに下ろされることとなった。

この時、船名にちなんでジョン・マンの愛称をつけられた。

 

万次郎はアメリカ本土に上陸し、ホイットフィールド船長の養子として暮らす。

万次郎は寝る間を惜しんで勉強し、オックスフォード学校などで英語・数学・測量・航海術・造船技術などを学んで首席となったという。また、民主主義や男女平等など、日本人にはなかった概念に触れる一方で、自身は人種差別も経験した。

卒業後は捕鯨船に乗る道を選び、やがて船員達の投票により副船長に選ばれる。

その後、数年間は捕鯨船員として生活していたが、1850年(嘉永3年)に万次郎は日本に帰る事を決意。

数ヶ月間、帰国の資金を得るために金鉱で働いた万次郎は、ホノルルに渡って土佐の漁師仲間と再会した。

そして万次郎たちは、購入した上陸用の小船「アドベンチャー号」と共に上海行きの商船に乗り込み日本へ向け出航した。

 

 

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嘉永4年(1851年)にアドベンチャー号で琉球に上陸を図った万次郎たちは、番所で尋問を受けて薩摩に送られた。

薩摩藩の取調べを受ける一方で、西洋に興味のあった藩主・島津斉彬は万次郎たちを厚遇した。

斉彬の命で万次郎は、藩士や船大工らに洋式の造船術や航海術について教えている。

薩摩藩での取調べの後、万次郎たちは長崎に送られて幕府の長崎奉行所で長期間の尋問を受けた。

キリスト教徒でないことを証明した万次郎たちは、その後土佐藩から迎えに来た役人に引き取られる。

土佐では吉田東洋らにより藩の取り調べを受け、約2ヶ月後に帰郷が許された。

万次郎は帰国から約1年半後、漂流から11年目後、ついに故郷に戻った。

 

万次郎は土佐藩の士分に取り立てられ、藩校「教授館」の教授に任命された。

嘉永6年(1853年)の黒船来航の際にアメリカの知識を必要としていた幕府は、万次郎を江戸に招聘して直参の旗本の身分を与えた。

その際、生まれ故郷の地名を取って「中浜」の苗字が授けられた。

万次郎は軍艦教授所教授に任命されたほか、英会話書の執筆、翻訳、講演、通訳、英語の教授、船の買付などで活躍した。

 

 

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安政元年(1854年)に幕府剣道指南・団野源之進の娘・鉄と結婚。

この頃、日本で英語をまともに話せるのは万次郎だけだったために、ペリーとの交渉の通訳に適任とされていたが、他の者の妬みを買ってしまい通訳の役目から下ろされてしまう、

 

万延元年(1860年)、万次郎は遣米使節団として咸臨丸でアメリカに渡る。

船長・勝海舟が船酔いで動けなかったため、万次郎は代わって船内を取り仕切っていたという。

サンフランシスコ到着後は、使節の通訳として活躍した。

 

文久元年(1861年)には小笠原諸島などの開拓調査に同行。

幕府の軍艦操練所教授、帆船「一番丸」の船長に任命された万次郎は、小笠原諸島近海で捕鯨を行った。

帰還後、万次郎は土佐藩の開成館の教授となって英語、航海術、測量術などを教える。

また薩摩藩の招きを受けて航海術や英語を教授していたが、倒幕の機運が高まりつつあり江戸に戻ることにした。

 

 

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明治維新後、万次郎は政府から開成学校の英語教授に任命される。

万次郎は明治3年(1870年)に普仏戦争視察団として欧州へ派遣され、帰国の途上でホイットフィールドと再会。

万次郎は身に着けていた日本刀をホイットフィールドに贈った。

 

万次郎は、読み書きを覚えずにアメリカに渡ったため、口語の通訳はできたが文章化することが苦手だった。

このため西洋の体系的知識が求められた明治以降、万次郎の活躍の舞台は減っていった。

また、晩年にアメリカ時代の友人が訪ねてきたが、既に英語が話せなくなっていたといわれる。

明治31年(1898年)、72歳で死去。

 

現在も万次郎の子孫とホイットフィールドの子孫は交流を続けており、また出身地の土佐清水市はアメリカでの滞在先であったニューベッドフォード、フェアヘーブンの両市と姉妹都市盟約を締結し、現在も街ぐるみでの交流が続けられている。 

 

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