大河ドラマ西郷どん(せごどん)
岩山糸(西郷糸子)
大河ドラマ西郷どんの第1話から登場する黒木華が演じる岩山糸。
西郷隆盛を支え続けた3番目の妻・岩山糸は、西郷の人柄に負けないぐらいの立派な女性。
大出世した西郷の妻でありながら質素な生活を送り、最後の最後まで西郷を献身的に想い続けます。
今回は、西郷の活躍の裏で家庭を守り続けた西郷の妻・岩山糸について簡単に紹介します。
岩山糸(西郷糸子)
西郷隆盛の正妻で、名はイト、いと、以登、糸、絲子とも。
天保14年(1843年)薩摩藩士・岩山八郎太直温の次女として誕生。
西郷隆盛より15歳年下。
大河ドラマの中では、岩山糸と西郷小吉(隆盛)は幼少期に出会っているが、史実ではありえない話。
西郷は180㎝近い大柄な男だったのに対し、糸は150㎝あるかないかの小柄で華奢な女性であった。
糸は、西郷と結婚する前に一度、海老原家に嫁いでいる。
大河ドラマの中では、幼少期より西郷に想いをよせる糸であるが、西郷の縁談話を聞いたために諦めて海老原家に嫁いでいる。
元治2年(1865年)に、薩摩藩士・有川矢九郎が、妻のいとこにあたる糸をいきなり連れて来て、西郷に了解させて結婚したといわれる。
西郷37歳、糸子21歳であった。
下加治屋町にあった西郷隆盛の生家は、借金返済のために売却していたため借家で暮らす。
この頃、すでに西郷は藩命で東奔西走しており、結婚後も1年のうち1カ月ほどしか鹿児島にはいなかった。
同居人の西郷家次男・吉二郎夫妻は、10歳も年下の糸を「姉さあ」と呼んで慕っていたという。
慶応2年(1866年)に長男の寅太郎が誕生。
慶応4年(1868年)に戊辰戦争が始まり、西郷は糸に「この戦いが終わったら官職を辞して隠居する」と手紙を送った。
その後、西郷が凱旋帰郷するが、日当山温泉に滞在し家には帰らなかった。
明治2年(1869年)、西郷は武村の屋敷へ引っ越し。この頃に西郷の2番目の妻・愛加那の子・菊次郎(8歳)を引き取った。
明治3年(1870年)に次男の午次郎が誕生。
明治4年(1871年)、勅命により西郷は菊次郎(10歳)を連れて東京に赴任。
明治5年(1872年)に明治天皇に従い西郷が1年半ぶりに帰郷。しかし西郷は自宅には帰っていない。
明治6年(1873)、三男の酉三(ゆうぞう)が誕生。
ちなみに寅太郎は寅年、午次郎は午年、酉三は酉年生まれ。
明治6年(1873)、征韓論争いに敗れた西郷が下野し、鹿児島に帰郷。
明治8年(1875)に家族、親戚で日当山温泉へ。(西郷47歳、糸32歳)
この頃の糸は、屋敷を訪ねた者が質素な身なりの糸を使用人と間違えて話しかけ、糸もそのまま応対していたという。
明治10年(1877)、西南戦争がおこり、糸は家族を連れて武村から坊野に避難した。
政府軍が鹿児島に火をつけて自宅が焼失。その後、糸たちは坊野を離れ西別府村に隠れた。
糸は、西郷が洞窟に籠もっていることを聞き、新しい着物と帯を届けさせた。
西郷が自刃したときとき糸は34歳、西郷一家はしばらくして武村に戻る。
明治29年(1896)、糸は寅太郎の結婚式のために上京。
そのまま鹿児島を引き払って、牛込区(新宿区)の寅太郎邸に身を寄せた。
明治31年(1898)、上野公園で西郷銅像の除幕式が行われる。
(大河ドラマ西郷どん第1話の最初のシーン)
明治36年(1903)、三男の酉三が結核で死去。
大正8年(1919)、寅太郎がスペイン風邪により死去し、糸と寅太郎の子供たちは、寅太郎邸のすぐ近くにあった次男・午次郎の家に移った。
大正11年(1922)、糸が79歳で死去。
糸は晩年「食事に何を差し上げましょうか」と聞かれると、必ず「芋粥でよか」と答え、毎日それを「幸せ」と言って食べたという。