大河ドラマ西郷どん(せごどん)
朱衣肩衝(あけのころもかたつき)とは?
大河ドラマ西郷どん(せごどん)で、12代将軍・徳川家慶が島津斉興に与える茶器が朱衣肩衝(あけのころもかたつき)。
ややこしい名前で、何で茶器にこんなややこしい名前を付けたんだよと思ってしまいます。
私はまったく茶器に興味ありませんでしたが、今回この名前が気になりましたので朱衣肩衝(あけのころもかたつき)について調べてみました。
朱衣肩衝(あけのころもかたつき)とは?
朱衣肩衝は、「漢作肩入」の名品として名高い茶器。
全体が飴色の中に赤味を帯びた黄釉のなだれか幕状をなして、僧侶の着る朱衣の裾に似た趣があって、朱衣肩衝という名になった。
ちなみに「肩衝」とは、器の肩部が水平に張った茶入のうち特に優れたものを指す言葉。
茶入は産地によって唐物(中国産)、和物(日本産)、島物(東南アジア産)に分別されるが、昔から唐物がもっとも珍重されていた。
宋から明代に焼かれた唐物はさらに「漢作唐物」と「唐物」に分けられる。
「漢作」は細かくて滑らかな土で薄作りした上に褐色釉がかけられており、手持ちの軽いが特色。
朱衣肩衝は「漢作肩衝」としてはやや小形で黄釉の色と、朱の衣という銘と共に名品として評価されてきた。
もともとこの朱衣肩衝は、戦国時代の千利休、津田宗及、今井宗久に影響を与えた茶人・武野紹鴎が所持していた逸品で、のち徳川家康の寄贈され、江戸時代には一時期、紀州藩の所有になっていたが、同家から再び幕府に献上された。
幕末の1850年(嘉永三)に、琉球入貢の功によって薩摩国の島津侯に与えられたとあるが、大河ドラマ西郷どんの中では、12代将軍・徳川家慶が薩摩藩主・島津斉興に隠居勧告をする際に、この朱衣肩衝が与えられている。
この時代、将軍から茶器を与えられるということは「これで茶でも飲んで静かに暮らせ」という意味を持っていた。
その後、朱衣肩衝は1928年(昭和三)に島津家から競売にかけられ、二万七千三百円で落札された。