大河ドラマ西郷どん(せごどん)
西郷吉兵衛と西郷満佐
大河ドラマ西郷どんで、西郷吉之助(隆盛)の父母として登場するのが、風間杜男が演じる西郷吉兵衛と、松坂慶子が演じる西郷満佐。
貧乏子だくさんの西郷家の中で、どこか頼りない吉兵衛と肝っ玉母ちゃんの雰囲気を持つ満佐のコンビは、その後の吉之助の人格形成に大きく影響していきます。
今回は、大河ドラマの序盤を盛り上げる西郷吉之助の両親、西郷吉兵衛と西郷満佐について簡単に紹介します。
西郷吉兵衛
文化3年(1806年)に西郷龍右衛門の長男として誕生。通称は吉兵衛。諱は隆盛。
ちなみに長男・吉之助の諱は本来「隆永」だったが、維新後に申請した際に吉兵衛の諱「隆盛」で登録されしまったため、その名を使い続けて後世に「西郷隆盛」として名を残した。
吉兵衛は、薩摩藩の下級武士で御勘定方小頭という藩の会計係を務め、若い頃は剣豪として名をはせたという話がある。
弘化4年(1847年)に父の隠居により家督を相続したが、わずか47石の貧乏武士だったため油問屋の板垣家を訪ねて100両を借金。さらに翌年に100両を借りている。
大河ドラマの中では、吉兵衛と吉之助は一緒に板垣家を訪ねて借金のお願いをするが、吉兵衛は「武士の威厳」にこだわり、少し傲慢な態度で話を切り出している。
その後、吉之助が正直に貧乏で苦しんでいることを告白し、板垣はその人柄に負けて借金を了解した。
吉兵衛の母は、日置島津家の家来の出身だったため、日置島津家の庶流である赤山家を世話をする御用人だった。
このため嘉永2年(1850年)に起こったお由羅騒動では、吉兵衛は赤山靱負の死を見届けている。
吉兵衛は、赤山靭負の血衣を持ち帰って吉之助に見せ、涙ながらに赤山の最期を語ったといわれる。
嘉永5年(1852年)に父・龍右衛門が死去し、2か月後に吉兵衛も死去した。
西郷満佐(椎原政佐)
父は薩摩藩士・椎原国紀。
西郷吉兵衛の妻となり、吉之助をはじめ、琴、吉次郎、鷹、安、信吾、小兵衛を生んだ。
満佐は自分が病床にありながらも、夫の看病をした良妻であると伝わっている。
大河ドラマ公式HPには、「男であったら家老になっただろうといわれるほどの肝っ玉母ちゃん」とあり、武家の誇りを持った「薩摩おごじょ」として描かれる。
夫の死から4カ月後、嘉永6年(1853年)に満佐も病死。