大河ドラマ西郷どん(せごどん)
喜界島(奇界島)
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第4話「新しき藩主」で、大久保正助(利通)の父・大久保次右衛門がお由羅騒動に巻き込まれて島流しになる喜界島。
喜界島は、奄美群島に位置して、奄美大島の近くにある大きな島です。
この喜界島は、鹿児島にほど近い硫黄島(鬼界ヶ島)と混同されることが多く、特に本州の人間にとってはいまいち位置関係も分かりません。
今回は、利通の父・大久保次右衛門が流された喜界島の紹介と合わせて、硫黄島(鬼界ヶ島)についても簡単に紹介しようと思います。
喜界島の位置
喜界島(奇界島)
奄美群島に属する喜界島は、長徳4年(998年)に大宰府から乱暴を働いている南蛮人を捕えるように命じられており、平安時代からその存在が確認できる。
また、喜界島にはそれだけの機関や勢力が存在していたと考えられる。
ここでいう「南蛮人」は、幕末の頃の西洋人を指した「南蛮人」ではなく、奄美大島の島民を指している。
奄美大島ではなく、離れた喜界島に拠点があったのは、島にハブが棲息していないことが理由といわれている。
中世以来は、琉球王国や薩摩藩などの大勢力の支配を受け続けた。
古代から中世にかけて流刑地として存在した鬼界ヶ島と、この喜界島を同じものとする説が昔からあるが、喜界島には火山がないため逸話との整合性がとれず、鬼界ヶ島=硫黄島とする説が有力視されている。
しかし、島内には『平家物語』において鬼界ヶ島に流された僧・俊寛の像が存在している。
鬼界ヶ島(硫黄島)
鬼界ヶ島とは、僧・俊寛、平康頼、藤原成経らが1177年(治承元年)の鹿ケ谷の陰謀によって流罪にされた薩摩国に属する島。
「源氏物語」や「平家物語」などの文書では、この鬼界ヶ島の様子が細かく記されている。
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「舟はめったに通わず、人も希である。住民は色黒で、話す言葉も理解できず、男は烏帽子をかぶらず、女は髪を下げない。農夫はおらず穀物の類はなく、衣料品もない。島の中には高い山があり、常時火が燃えており、硫黄がたくさんあるので、この島を硫黄島ともいう」
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「美しい林、紅錦刺繍の敷物のような風景、神秘的な高嶺などの見える場所があった。山の風景から木々に至るまで、どこよりもはるかに素晴らしい。南を望めば海は果てしなく、雲の波・煙の波が遠くへ延びて、北に目をやれば険しい山々から滝がみなぎり落ちている」
- 1178年(治承2年)に平康頼、藤原成経は赦免されて京に帰ることができたが、俊寛だけは赦されずこの鬼界ヶ島に残されて死んだ。
- 鬼界ヶ島の場所ははっきりしていないが、以上の文書から火山島であることが有力視されている。
- 硫黄島には、1995年(平成7年)に建てられた俊寛の銅像があり、鬼界ヶ島(きかいがしま)の由来は、火山の硫黄によって海が黄色に染まっていることから、「黄海ヶ島」と名付けられたとの説がある。
- また、奄美群島に属する喜界島にも俊寛の墓と銅像があり、薩南諸島とは離れた長崎県の伊王島にも俊寛の墓が存在している。