大河ドラマ西郷どん(せごどん)
西郷隆盛の最初の妻・須賀の家族
伊集院直五郎と伊集院兼寛
大河ドラマ西郷どん(せごどん)で、西郷吉之助(隆盛)と最初に結婚するのが橋本愛が演じる伊集院須賀。
ドラマの中では、須賀は少し変わった性格をしていますが、吉之助のことを心から想っていました。
そんな二人が離縁する現場まで立ち会っている須賀の父・伊集院直五郎。
史実とドラマは違うものですが、今回は史実の伊集院直五郎と須賀の弟にあたる伊集院兼寛について簡単に紹介しています。
伊集院須賀
須賀の父・伊集院直五郎(兼善)
西郷隆盛の最初の妻となった須賀の父・伊集院直五郎(兼善)は、1817年(文化14年) に薩摩藩士・伊集院作平次の三男として生まれた。
須賀のほかにも子に、貴族院子爵議員となった伊集院兼寛などがいる。
長女の須賀は西郷隆盛に嫁がせたものの、直五郎は西郷家の貧乏生活を見かねて、呼び戻したといわれており、その後、伊集院家が江戸に詰めている西郷隆盛に相談して離縁が決まったという。
この時、西郷は「こちらこそ申し訳なかった」と言い、円満な離縁だったといわれている。
明治維新後に出納大属となり、1874年に鳥取県権参事に昇格。高知県参事や大書記官など歴任した。
1882年に高知県令に就任。
自由党の関係者を県庁、学校から排除して県政に混乱をもたらし、翌年に死去した。
須賀の兄・伊集院兼寛
西郷隆盛の最初の妻となった須賀の弟・伊集院兼寛は、天保9年(1838年)に薩摩藩士・伊集院直五郎(兼善)の嫡男として生まれた。
兼寛は、西郷隆盛・従道兄弟や大久保利通らとの関係が深く、薩摩藩の中でも行動派として活躍する。
文久2年(1862年)に発生した寺田屋騒動にも、兼寛は過激派・有馬新七の同志として討幕計画に参加している。
この時は、兼寛は藩主命令により帰順して謹慎の処分を受けた。
文久3年(1863年)の禁門の変では斥候として参加し、藩主より功賜金を賜る。
その後、兼寛は薩英戦争で決死隊の一員に加わり、戊辰戦争では東山道総督府参謀に任ぜられるなど各地を転戦した。
また、兼寛の活躍は武勇だけに留まらず、維新後の明治4年(1871年)に大蔵省に出仕して明治初期の会計制度の整備にも尽力している。
さらに昇進を重ねた兼寛は、台湾出兵の事務処理を手がけ、西南戦争では四国の情勢探索活動に従事。
明治23年(1890年)の帝国議会創設により貴族院議員に就任し、明治31年(1898年)に死去した。