大河ドラマ西郷どん(せごどん)
ジョン・マンがいた町
フェアヘイブン(フェアヘーブン)
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第6話では、劇団ひとりが演じる謎の男が登場します。
その後すったもんだあって、この謎の男は名は、ジョン・マン、のちのジョン・万次郎であることが判明しました。
さらに、ジョン・マン(ジョン・万次郎)は土佐出身の漁師で、遭難後にアメリカの捕鯨船に救助され、長い年月を経て日本に帰ってきたことが分かります。
話を聞いた島津斉彬は信じられずにいましたが、ジョン・マン(ジョン・万次郎)がアメリカのフェアヘイブン(フェアヘーブン)という町で暮らし、アメリカの事情に詳しいことを知ると、ジョンに知識の教授を依頼しました。
ここで気になったのが、ジョン・マン(ジョン・万次郎)が暮らしたフェアヘイブン(フェアヘーブン)という町。
ジョン・マン(ジョン・万次郎)自体の記事は別記事で紹介していますので、今回はこのフェアヘイブン(フェアヘーブン)というアメリカの町について掘り下げていきます。
ジョン・マン(ジョン・万次郎)の記事はこちら
フェアヘイブン(フェアヘーブン)
1652年、初めてヨーロッパ人がアメリカ大陸のフェアヘイブン周辺の地に入り、開拓者たちはインディアンからこの土地を購入しました。
開拓者たちはこの土地に旧ダートマスという町を建設。
この町には現在のダートマスのみならず、現在のニューベッドフォード、アクシュネット、フェアヘイブン、ウェストポートが含まれていました。
1787年に、正式にニューベッドフォード町とし成長し、1796年には、ニューベッドフォードとフェアヘイブンの間に橋が建設され、急激に町が成長がしていきます。
そして、大きくなったフェアヘイブンの町は、1812年にニューベッドフォードから分離して独立した町となりました。
フェアヘイブンの近くには、ペリー艦隊が日本に向け船出したニューポートの港などがあり、この頃フェアヘイブン一帯は捕鯨業などを生業とする大きな港の町となっていました。
ジョン・マン(ジョン万次郎)とフェアヘイブン(フェアヘーブン)
ニューベッドフォードから出港し、日本近海で捕鯨をしていたジョン・ハウランド号は、無人島の鳥島に漂着していた日本人を助けます。
しかし、この頃日本は鎖国状態にあったため、ホイットフィールド船長は日本へ送り届けることを諦めて、ハワイで下ろすことにしました。
命を助けられた最年少(14歳)の中浜万次郎も、この時にハワイに下ろされる予定でしたが、ホイットフィールド船長は万次郎の利発さが気に入り、アメリカに来ないかと誘います。
万次郎は溢れる好奇心を抑えきれず、アメリカに行くことにしました。
その後、万次郎を乗せたジョン・ハウランド号は、無事にニューベッドフォードに帰港。
万次郎は、フェアヘイブンにあったホイットフィールド船長の家に一緒に住みました。
のちにホイットフィールドの養子となった中浜万次郎は、船の名前にちなんで「ジョン・マン」と愛称をつけられました。
そしてジョン・マンは寝る間を惜しんで勉学に励み、学校を主席で卒業しました。
10年後、日本に帰ったジョン・マンは、幕末における重要人物となり、幕府に登用されて勝海舟とともに再びアメリカにやってきます。
しかし、この時は第二の故郷・フェアヘイブンには寄ることが出来ずに帰国しました。
幕府が無くなり、明治新政府となってもジョン万次郎(ジョン・マン)は通訳として重用され、明治3年には欧州視察を行います。
その帰路、ジョン万次郎はフェアヘイブンに立ち寄り、ついに恩人・ホイットフィールドと再会しました。
この時、ジョン万次郎はこれまでの恩に感謝し、身につけていた日本刀をホイットフィールドに贈っています。
その後、ジョン万次郎は日本で教育者として、ホイットフィールドはアメリカで政治家として活躍しました。
この二人の出会いから、ジョン万次郎の生誕地・土佐清水市とフェアヘイブン、ニューベッドフォードは姉妹提携都市となり、ホイットフィールド船長の家は、ホイットフィールド・万次郎友好記念館として現在整備されています。
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