大河ドラマ西郷どん(せごどん)
品川宿とは
大河ドラマ西郷どんで、序盤に登場した「ふき」というの貧しい農民の娘。
西郷吉之助は「ふき」を助けようと走り回りましたが、結局「ふき」は借金のカタに売られることになりました。
その後、斉彬と共に江戸に来た吉之助は、この「ふき」と運命の再会を果たします。
再会の場所は、大山格之助、有村俊斎らが馴染みの店としている品川宿の磯田屋。
今回は、再会の場所となった品川宿について簡単に紹介します。
ちなみに再会した「ふき」の職業については以下の記事でまとめています。
品川宿
品川宿は、東海道五十三次の宿場の一つで、東海道の第一宿。
中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、日光街道・奥州街道の千住宿と並んで江戸四宿と呼ばれた。
1601年に港町として栄えていた品川湊の近くに設置され、目黒川より北が北品川宿、南が南品川宿、北品川のさらに北にあった宿を歩行新宿(かちしんしゅく)といった。
歩行新宿は、1722年に品川宿と高輪の間にあった町が宿場として認められた、比較的新しい宿場町である。
宿場が本来負担していた伝馬と歩行人足(役人の荷物輸送や、取り次ぎのための馬や人)のうち、歩行人足だけを負担したために「歩行新宿」の名が名付けられた。
品川宿は江戸の玄関口として参勤交代の大名が多く利用したため、旅籠屋が他と比べて多く立ち並び、色町、遊廓、飯盛旅籠としても大いに賑わった。
1772年、幕府は品川宿の飯盛女の数を500人と定めるも、その後もさらに増加。
1843年には旅籠屋92軒、水茶屋64軒が存在し、「北の吉原、南の品川」と称されるほど一大歓楽街として繁栄した。
1844年に奉行が摘発を行なった際には、1,348人の飯盛女を検挙している。
明治に入ってから宿駅制の廃止と鉄道の開通などによって、品川宿は宿場町としての機能は失われるが、北品川では多くの遊郭が営業を続けた。
このため商業施設が建ち並び、交通の便から大規模工場が次々と建設され、南品川でも下請工場や関連住宅が増え続けた。
その後、品川地域は第二次世界大戦の戦火にもほとんど見舞われず、戦後も遊郭は営業を続けたが、昭和33年(1958年)の売春防止法施行によって工場の従業員寮などに変化していった。