大河ドラマ西郷どん(せごどん)
古高俊太郎(枡屋喜右衛門)
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第27話で、過激な長州藩士たちは京都に火をつけ、天皇まで長州に連れ去る計画を企んでいましたが、「新撰組」によって未然に阻止されてしまいます。
これが有名な「池田屋事件」なのですが、「新撰組」はこの事件の前に尊王攘夷派志士・古高俊太郎(枡屋喜右衛門)という男を捕らえて計画を自白させていました。
この記事では、長州藩のためにスパイ活動や武器の調達を行っていた闇の商人・古高俊太郎(枡屋喜右衛門)について簡単に紹介します。
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古高俊太郎(枡屋喜右衛門)
古高俊太郎は、文政12年(1829)に近江国大津代官所の役人・古高周蔵の子として生まれました。母は公家の広橋家家来の娘。
父・周蔵の転職にともなって京都に移住した古高俊太郎は、梅田雲浜に弟子入りし尊皇攘夷思想に目覚めていきます。
そして文久元年(1861)、古高俊太郎は筑前福岡藩黒田家の御用達である京都河原町の枡屋を継いで「枡屋喜右衛門」を名乗りました。
表の顔は枡屋喜右衛門として古道具や馬具を扱う商人でしたが、裏の顔(古高俊太郎)は熊本藩士・宮部鼎蔵らと交流して京都における尊王攘夷運動を先導する志士でした。
また、古高俊太郎は商人・枡屋喜右衛門として諸大名や公家の屋敷に出入りし、情報収集に努めていました。
しかし、元治元年(1864)、枡屋は近藤勇が率いる新撰組に突如踏み込まれました。
このとき、新撰組には枡屋にあった武器弾薬を押収され、諸藩浪士との書簡や血判書も見つかってしまいました。
このため、古高俊太郎は新撰組の屯所・前川邸に連行されることになります。
2階から逆さ吊りにされ古高俊太郎は、足の甲から五寸釘を打たれ、貫通した釘にロウソクを立てられる等の過酷な拷問を受け、ついに自白。
古高俊太郎が自白した内容は、京を追われていた長州藩士らが強風の日に火を放ち、佐幕派公卿の中川宮を幽閉、京都守護職の松平容保ら佐幕派大名を殺害して天皇を長州へ連れ去ろうとするものでした。
この暴挙ともいえる計画には、実行のために多数の志士がすでに上洛しており、市中で集会が開かれていることも分かります。
これを聞いた新撰組は、すぐさま志士たちが集まる池田屋へ急行し、長州藩士らを襲撃して計画を阻止することに成功しました。
古高俊太郎はその後、罪人として六角獄舎に収容されましたが、長州藩が暴発し京に攻め入った元治元年7月20日(1864年8月21日)の禁門の変の際に、火災に乗じて逃亡することを恐れた役人によって殺害されてしまいました。享年36。