大河ドラマ西郷どん(せごどん)
池田屋事件
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第27話で発生するのは、歴史に名高い「池田屋事件」。
新選組を有名にしたこの事件は、これまでも多くの大河ドラマで描かれてきましたが、今回はどうやらほぼナレーションだけで終わりそう。
どうも今回の大河は主人公・西郷隆盛が見ていない事件は、一貫してナレーションで終わらせていますからねw。
で、この記事ではちょっと物足りないって人のたために「池田屋事件」について簡単にまとめました。
かなり簡単にしてますので、もっと欲しがるアナタには最後のYouTubeで!カッコよすぎます!
大河ドラマ「八重の桜」の池田屋事件
出典:https://tukitodora.exblog.jp/
池田屋事件
幕末の京都、尊王攘夷を掲げる長州藩は朝廷を動かしていましたが、これを良しとしない孝明天皇の意を汲み、会津藩と薩摩藩は『八月十八日の政変』で長州藩を京都から追い出し、朝廷内部を公武合体に導きました。
さらに勢力挽回を図っていた尊王攘夷派に対し、京都守護職・松平容保(会津藩主)は新選組に市内警備や捜索を行わせました。
すると新選組の監察・山崎丞、島田魁らは、古道具屋「枡屋」の主人・枡屋喜右衛門(古高俊太郎)が尊王攘夷派志士と深く関わっていることを突き止め、捜索によって武器や長州藩との書簡を発見します。
そして新選組は古高俊太郎を捕らえて拷問にかけると、古高俊太郎はとんでもない計画を自白しました。
『祇園祭の前、強風の吹いた日、御所に火を放ち、混乱に乗じて佐幕派公卿・中川宮朝彦親王を幽閉。一橋慶喜・松平容保らを暗殺して、孝明天皇を長州へ連れ去る。』
その後、さらに長州藩・土佐藩・肥後藩の尊王攘夷派志士たちが、古高俊太郎奪還のための襲撃を企んでいることも分かりました。
新選組は古高俊太郎奪還計画の会合が池田屋か四国屋でなされていることを突き止めると、隊を2つに分けて向かいました。
本命は四国屋側であったため、池田屋側に向かったのは新選組局長・近藤勇が率いた数名の隊士のみ。
しかし、予想に反して会合は池田屋で開かれていました。
それでも池田屋で志士たちを発見した近藤隊は、20数名の敵に対して近藤勇・沖田総司・永倉新八・藤堂平助の4名で突入。
残りの隊士には外を固めさせ、逃げ出す志士に対処させました。
激しい戦闘の中で、沖田総司は戦闘中に病に倒れ戦線離脱し、藤堂平助も額を斬られて戦闘不能に陥ります。
新選組は近藤勇、永倉新八の2人だけになってしまいましたが、四国屋に向かっていた土方歳三隊が到着すると一気に形勢が逆転。
結果、新選組は9名を討ち取り、4名の捕縛の戦果を上げます。
その後、会津・桑名藩の応援が到着していますが、土方歳三は手柄を横取りされないよう、これらを近づけさせなかったといいます。
大河ドラマ「新選組!」の名シーン
土方歳三の「待たせたな!」
この事件では尊王攘夷派志士が数名逃走していますが、翌朝には会津藩、桑名藩らと連携して市中を掃討し、20余名を捕縛しました。
なお、長州藩士・桂小五郎は池田屋への到着が早すぎて、外出していたために難を逃れたとも、池田屋にいたものの屋根から逃亡したともいわれています。
これで新選組の名は天下に知れ渡り、逆に吉田稔麿・宮部鼎蔵など重鎮を失った尊王攘夷派は大打撃を受けました。
この事件がきっかけで、長州藩は憤った強硬派が主導権を握り、挙兵ののち禁門の変を引き起こして『朝敵』の汚名をかぶることになっていきました。
https://youtu.be/LRg7p7mlolo?t=1s