大河ドラマ西郷どん(せごどん)
薩摩藩の密貿易とは?
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第3話「子供は国の宝」で、父・島津斉興(鹿賀丈史)を藩主の座から引きずり降ろすべく、島津斉彬(渡辺謙)は幕府老中・阿部正弘(藤木直人)に薩摩藩の密貿易を訴えます。
当時の日本は鎖国の状況下にあって、密貿易はもちろん重罪。斉彬に協力する阿部正弘は、これをもって斉興に処分を下そうとしますが、薩摩藩の財政を預かる調書広郷(竜雷太)は、密貿易は自分ひとりが仕組んだことで斉興は関係ないとかばいました。
悪役っぽい印象を持つ調書広郷ですが、その後、主君への忠義を貫いて服毒自殺。真相は闇の中に消えました。
今回は、この調書広郷が行っていたといわれる薩摩藩の密貿易について簡単に紹介します。
薩摩藩の密貿易
鎖国政策の状況下における江戸時代の貿易は、長崎・対馬・松前・琉球の四つの貿易港で行われていた。
これらの港は、幕府・諸藩が管理統制下におかれ、琉球は慶長14年(1609年)に薩摩藩が侵攻して琉球王国を服属させたことにより、幕府の許可のもとで薩摩藩が管轄することとなった。
琉球王国は中国と朝貢貿易を行っていたために、薩摩藩はその貿易品の利潤を得るようになる。
輸入品としては、絹製品・生糸・鮫皮などで、輸出品は銀・乾昆布・干鮑などであった。
藩が管轄しているとはいえ、完全に自由に貿易できたわけではなく、幕府によって品種・量は制限されていた。
薩摩藩に限らず江戸時代を通じて許容量を超えた抜け荷(密貿易)は行われていて、新井白石や徳川吉宗らによってたびたび禁令が出されて取締まられてきた。
このような禁令の効果は一時的で、財政難に悩む諸藩の密貿易は止むことはなかった。
幕府においても、これら諸藩の密貿易を完全に取り締まってしまえば軍事衝突の恐れがあり、ある程度は容認していた節もみえる。
江戸時代後期における薩摩藩は、島津重豪の時代に500万両の借金に苦しんでいたが、下級武士から登用された調書広郷は、藩の財政立て直しのため密貿易を奨励。
藩が借金をしていた商人たちを優先的に関わらせることで事実上、借金を踏み倒し、薩摩藩は50万両の蓄財ができるほどまで財政は回復した。
この50万両の数字も、幕府を気にした表向きの数字であり、実際はもっと大きな額を蓄えていた。
その後の薩摩藩の軍事力を支えたのは、間違いなくこの密貿易による蓄財であり、調書広郷がいなければ明治維新はなかったともいわれている。
→薩摩藩の財政を立て直し斉興をかばって死んだ「調書広郷」とは