大河ドラマ西郷どん(せごどん)
大奥
大河ドラマ西郷どん(せごどん)で、将軍・徳川家定に嫁ぐため、南野陽子が演じる幾島から厳しい指導を受ける北川景子演じる篤姫(於一)。
その甲斐あってか、篤姫は家定に気に入られて大奥入り、同時に幾島も大奥入りしました。
その後、篤姫は将軍の正室として「御台所」と呼ばれ、幾島は「老女」として大奥の中での発言力を手に入れていきます。
今回は、そんな二人が入った「大奥」や、大奥の中の身分などについて簡単に紹介します。
大奥とは
大奥とは、江戸城内において将軍の御台所(正妻)や側室たちが居住した場所を指す。
徳川家康の時代は、城内に政治を行う場である「表」と、私的な生活の場である「奥」の境界はなかったが、2代将軍・徳川秀忠の時に幕府政庁として「表」、将軍の執務室として「中奥(奥)」、将軍の婦人たちが暮らす「大奥」に区分された。
江戸城は、本丸、二の丸、三の丸、西の丸、紅葉山、吹上御庭、西丸下で構成されていたが、大奥が置かれたのは本丸、二丸、西の丸の3つ。
本丸は将軍の夫妻、二丸は将軍の生母や前将軍などに仕えていた側室、西丸は世嗣の夫妻やの隠居した将軍(大御所)夫妻の居住区域であった。
御台所とは
将軍の正室は公家・宮家・天皇家から迎えるのが慣例とおり、輿入れした姫は「御台所」と呼ばれ、大奥の最高権力者になった。
江戸時代初期の御台所は、あくまで形式上の最高権力者であったため、世継ぎを産んだ側室などが大奥の実権を握っていたことが多い。
しかし、6代将軍・徳川家宣の時代に大奥の改革が行われ、御台所の権威が大きく上昇することになった。
御台所の紹介記事↓
老女とは
幕府から給金を支給されていた大奥に住む女性たちを大奥女中と呼び、将軍や御台所の生活の世話を担った。
その大奥女中の中で最上位にいた上臈御年寄(じょうろうおとしより)は、御台所とともに江戸に来た京の公家出身者が相談役としてなった。
名誉職のように祭り上げられたものが多かったが、徳川家定の乳母・歌橋のように絶大な発言力を持った人物もいる。
実際の大奥での業務は、NO.2の御年寄と呼ばれる女中が取り仕切り、上臈御年寄とともに「老女」と呼ばれた。
側室とは
大奥において将軍の身辺の世話をしている中臈(ちゅうろう)と呼ばれた女中は、将軍のお目にかかると周囲が準備し、その日の夕刻には寝所に待機させられた。
事を終えたあとの女性は「お手つき」と呼ばれ、女子を出産すれば「お腹様」、男子を出産すれば「お部屋様」となって、正式な側室となった。
産んだ男子が将軍職に就くと側室は将軍の生母となり、江戸時代初期においては御台所を凌ぐ絶大な権威を持っていたが、江戸時代後期になると権威は低下していった。
女中になるには
女中には旗本や御家人などの武家の女性が雇用された。
しかし、江戸時代後期頃にはお金持ちの町人出身の女性が大奥入りすることが多くなる。
町人出身の女性の場合、旗本や御家人の養女となって大奥入りする必要があったため、困窮した旗本や御家人の方から、裕福な町人へ持参金付き養女縁組みの話を持ちかけてくることも多かったという。
大奥のシステム、役職を知るには↓