大河ドラマ西郷どん(せごどん)
大久保満寿
大河ドラマ西郷どん(せごどん)の第13話、謹慎させられ、岩山糸にはフラれ、あまりいいことのなかった大久保正助にやっとこさ春がやってきます。
それは、ミムラ演じる大久保満寿との結婚。
この正助の結婚話で酒の席は盛り上がり、翌日に郷中メンバーは秘かに結婚相手の顔を見に行きます。まるで中学生w。
結局、正助に見つかってキレられ、大山格之助は言い訳に「結婚相手が上司の娘だからイヤイヤ結婚するんじゃないかと心配して見に来た」と余計なことを言ってしまいます。
これを聞いてしまった満寿は怒って「そんなことなら結婚取り消せばいい」と言うと、正助はアタフタw。
何とか吉之助がとりもって満寿の誤解は解け、二人は無事に祝言を挙げることができました。
この調子だと正助は尻に敷かれてしまいそうですが、実際の大久保利通と満寿はどうだったのでしょうか。
今回は、大久保利通の妻・大久保満寿について簡単に紹介していきます。
大久保満寿役 ミムラ
大久保満寿(ます)
大久保満寿は、大久保利通の妻。満寿子とも。
薩摩藩士・早崎七郎右衛門の次女で、弟には海軍少佐となった早崎七郎や、海軍少将となった早崎源吾がいます。
1857年(安政4年)に大久保利通と結婚し、子に貴族院議員となる大久保利和や、外務大臣となる牧野伸顕、大久保利武、石原雄熊、芳子を生みました。
明治維新のあと、満寿は鹿児島で暮らしていますが、大久保利通は東京で内務卿に就任するなど新政府の中でもリーダー的存在になっていきました。
しかし、生活はそこまで裕福なものではありませんでした。
というのも、大久保利通は公共事業に私財を投じており、妹夫婦にまで借金をしてまで国の借金を埋めていたからです。
1874年(明治7年)に上京した満寿は家計を切り盛りし、生まれ故郷で西郷が起こした西南戦争に悩む夫を影ながら支えていたと思います。
その後、1878年(明治11年)に大久保利通が紀尾井坂の変で暗殺されてしまうと、満寿は体調を崩して病床につき、約半年後に死去しました。
冷静沈着なイメージの大久保利通ですが、家庭内では子煩悩で優しい父親だったといいます。
出勤前のわずかな時間を、唯一の娘である芳子を抱き上げて可愛がり、帰宅時には子ども達が争って出迎え、靴を脱がせようと勢いあまって転がるのを笑って見ていました。
公務が忙しく、家族と夕食を摂ることもままならない大久保利通でしたが、土曜日だけは家族と夕食することを決め、それを楽しみにしていたという話もあります。
満寿の資料はほとんど残されてはいませんが、明治維新で華々しい活躍を見せた大久保利通があったのは、家庭のことで心配をかけさせず、温かい家で帰りを待つ妻の存在があったからかもしれません。