大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」
第39話「父、西郷隆盛」あらすじ
平成30年大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」第39話「父、西郷隆盛」のあらすじ・ネタバレについて書いていきます。
詳細なネタバレもあるので先の展開を知りたくない方は、【ネタバレ注意】は読まないほうがいいです。
たまに、私がところどころふざけてセリフや文章を考えて書いているところがありもすが、決して本編の大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」ではそのようなことはありもはん。
なお、放送後の感想については、別ページで書いていきますのでそちらもよろしくお願いします。
西郷どん(せごどん)
第39話「父、西郷隆盛」
NHK公式 あらすじ
明治2年、隠居し薩摩で穏やかな日々を過ごしていた西郷隆盛(鈴木亮平)は、奄美大島から9歳になる息子菊次郎(城桧吏)を薩摩に引き取る。しかし、菊次郎は継母となった糸(黒木華)とその息子寅太郎にも遠慮し心を開かない。一方、明治新政府は版籍奉還など急激な改革を進め、不平士族や農民たちの反乱が各地で起こっていた。そんな時、大久保利通(瑛太)は従道(錦戸亮)に、隆盛を上京させるよう説得させる。
西郷どん(せごどん)
第39話「父、西郷隆盛」
あらすじ【ネタバレ注意】
西郷菊次郎
明治37年(1904)、京都市役所では大勢の職員が新しい市長の到着を待っていた。
そして扉が開き、髭を蓄えたフロックコートの杖をついた紳士が入ってくる。
前市長が頭を下げ、職員が「西郷の子息のもとで働けることが光栄です」と声をかけると、新市長は言った。
「私は父の名前を出して仕事をしてきたわけではありません。嫡男でもない。その証拠に私の名前は『菊太郎』ではなく『菊次郎』です。」
職員はきまずそうにしながらも、西郷先生のことについて教えて欲しいと懇願すると、菊次郎はぽつりぽつりと語り始めた。
明治2年(1869)、領地と民を帝に返上する「版籍奉還」が行われ、薩摩は鹿児島へと名を改めた。
故郷に戻った西郷吉之助は「隆盛」と名を変え、しばらく政治から遠ざかって農地で農民の手助けをする毎日を過ごしていた。
西郷家が菊次郎を奄美大島から迎えたのはこの頃であった。
薩摩では寅太郎が楽しみに待っていると聞いて、愛加那は複雑な表情を浮かべたが、すぐに気を取り直して「菊次郎のことを頼みます」と糸に手をついたという。
二人の複雑な思いを9歳の菊次郎は知る由もなかった。
長年の借金を完済した隆盛は、借家を出て武村へと引っ越しした。
しかし、家は小さく、信吾も嫁・清をもらって一層大所帯となっていた。
「菊次郎さぁ。今日からここがあなたの家ですよ。」
奄美大島に迎えにきてくれた糸や熊吉とは、船の中で慣れていったものの、はじめて見る川口雪篷や小兵衛などに菊次郎は緊張していた。
「寅太郎。兄さぁち呼んでみ」
はじめは寅太郎も恥ずかしそうだったが、庭先で飼っていた犬を一緒に可愛がるうちに二人は打ち解けていった。
「菊次郎か。よう来たのう。」
隆盛と対面した菊次郎は、母から聞いていた「父は立派な武士」の言葉がウソだと思った。
あまりに泥だらけで、農民のようにしか見えなかったからだ。
その夜、祝宴が開かれ、隆盛や糸は菊次郎を長男の席に座るように促したが、菊次郎は席を譲るように自分から下座についた。
奄美大島で母から「嫡男は寅太郎」と聞かされていたからだった。
翌日から菊次郎は一人前の薩摩隼人になるため、郷中で剣術や相撲、読み書きなどを習うことになった。
新政府への不満
ある日、大久保利通(一蔵)に代わり島津久光付きとなった海江田武次が隆盛のもとにやってきた。
聞けば久光が隆盛を連れてこいと怒っているという。
急いで御殿に向かうと、久光は隆盛に言った。
「西郷、お前はかつてワシに薩摩の忠義を示せと言うたな?それが薩摩のためになるち。」
版籍奉還によって「知藩事」となったものの、権力を失い下級士族の突き上げに遭っていることに怒っているのだ。
さらに、お気に入りだった大久保利通にも不信感を募らせていた久光は、「これがお前らの望む御一新か?」と隆盛に問う。
この言葉は隆盛の胸に突き刺さることとなった。
一方、東京では右大臣の三条実美、大納言となった岩倉具視、そして政務を取り仕切る参議のメンバーが毎日激論を交わしていた。
武士の世を早急に終わらせ、中央集権国家と作ろうとする大久保利通に対し、急すぎては争乱を招くと木戸孝允(桂小五郎)が反対。
他にも後藤象二郎や、江藤新平、大隈重信、伊藤博文(俊輔)も自論があって全くまとまらない。
大久保は場を押し切って一同の賛同を得ることに成功したが、「しっぺ返しを食らうぞ」と木戸は忠告するのであった。
財政難で苦しむ新政府であったが、各藩の財政も版籍奉還によって危機的状況になっていた。
明治維新の結果、徳川幕府政治より苦しい生活となった民衆の不満は爆発し、次第に暴動や一揆が頻発するようになる。
明治3年(1870)、隆盛のもとに桐野利秋(中村半次郎)の従兄弟・別府晋介と横山安武ら若いサムライたちがやってきた。
サムライの時代を終わらせようとする新政府に不満を持った彼らは、隆盛を連れて東京に行き、何とかしようと考えていた。
しかし、隆盛は「大久保が新しい時代を作ろうとしている」と言って承諾しなかった。
横山安武たちは「先生は政府の犬になられたとでごわすな」と吐き捨て、その場を去っていく。
その言葉に何も言い返さず、黙っている隆盛の姿に、菊次郎は少し失望していた。
しかし、菊次郎はこののち知ることになる。
父は血気にはやる者を出さないためにも動かなかったことを。
父は若いサムライの命を守ることが使命だと思っていたということを。
父はいつ噴火するかもしれない桜島だったことを。
西郷隆盛の東京行き
その後、建白書を持った横山安武は、東京の集議院の前で腹と切って諌死した。
この出来事は、薩摩の士族たちに大きな衝撃を与えることとなった。
しばらくして、兵制の視察のために渡欧していた信吾が帰ってきた。
すっかり洋服を着こなすようになった信吾は「従道」と名を変え、軍政を司る兵部権大丞になったのだという。
ヨーロッパの土産話を子供たちに話したあと、従道は隆盛にも「土産話がある」と寄ってきた。
従道は「ヨーロッパのように町の治安を守る『警察』という組織を作れば、サムライにも仕事を生きがいを与えられる。」と言う。
「よかよか」
隆盛が賛同していると、従道はすかさず切り出した。
「一緒に東京に来てくいやい」
従道は新政府に対し爆発寸前の民のために隆盛の力が必要だと言う。
隆盛も分かってはいたが、自分は多くの人を死なせた身であることから政治に携わる資格はないと思っていた。
「おいも戦いはもう見たくない。戦わずして勝つほどの強い軍がなくてならんのじゃ!」
従道の頼みに、ついに隆盛は東京行きを決めた。
隆盛は家族に東京行きを告げると、真っ先に糸が反対した。
菊次郎を預かって間もないのに、それを置いて行くなど愛加那にも申し訳が立たないというのだ。
そんな時、菊次郎が立ち上がって言う。
「東京へ行ってくいやんせ!父上!おいもいつか父上のようになりたか!民のために働きとうごさいもす!母上。父上の東京行き、許してたもんせ!」
すっかり板についた薩摩弁で話す菊次郎に糸も承諾することになるのであった。
次回 西郷どん(せごどん)第40話「波乱の新政府」あらすじ↓
西郷どん(せごどん)
放送後の感想について
放送後に別ページにまとめています。