大河ドラマ麒麟がくる
鹿島の太刀
大河ドラマ麒麟がくるでは、生涯の友とされる明智光秀と細川藤孝(幽斎)が初対面のときに、ちょとしたことから斬り合いに発展する大騒動になってしまいます。この二人による斬り合いは、将軍・足利義輝がたまたま通りかかったことで収まりましたが、その時に義輝がかけた言葉が「鹿島の太刀、同じ流派同志で争うではない」でした。この記事では、戦国時代初期に一世を風靡していた剣術「鹿島の太刀」について簡単に紹介していきます。
鹿島の太刀
「鹿島の太刀」とは、正確には塚原卜伝高幹が編み出した剣術流派「鹿島新當流」の元になっている神代から伝わる兵法を指しますが、大河ドラマ麒麟がくるの「鹿島の太刀」とは、足利義輝、細川藤孝が学んだとされる「鹿島新當流」そのもののことを指しています。
神話において天孫降臨の際、邇邇芸命(ニニギ)に随伴して中臣氏の祖となったされる天児屋命(アメノコヤネ)の子孫・國摩真人が、鹿島神宮の祭神である建御雷神(タケミカヅチ)から神妙なる『一つ太刀の術』を授かり、「鹿島の太刀」が成立したとされています。
そして、この國摩真人のさらに子孫が鹿島神宮の座主である卜部吉川氏となり、以後「鹿島の太刀」は代々吉川家に伝えられていきました。
塚原卜伝は幼い頃から実父・吉川覚賢に「鹿島の太刀」「鹿島上古流」と続いてきた家伝の「鹿島中古流」を学び、その後に養父・塚原安幹から「香取神道流」を学んで武者修行に出ました。
そして塚原卜伝は修練を重ねる中で故郷の鹿島神宮に千日参籠し、最後の日に神託を得て「鹿島の太刀」の極意を悟り、流名を「鹿島新當流」と改めたのです。
何はともあれ、塚原卜伝は諸国修行の後、将軍の足利義輝や伊勢国司の北畠具教に「一つの太刀」を伝え、細川藤孝、山本勘助、武田信玄にも教授したとされています。
また、故郷へ帰った後の弟子にも、師岡一羽常成、真壁暗夜軒氏幹、斎藤伝鬼坊勝秀など名だたる剣豪を輩出し、「神道流」系統の剣術一大ブームを作りました。
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