大河ドラマ麒麟がくる
土岐の鷹
大河ドラマ麒麟がくるでは、土岐頼芸が「鷹の絵」を描きながら、これは祖父、父と受け継がれてきた伝統かのように語っています。実際、土岐氏が好んで描いた鷹の絵は「土岐の鷹」として非常に有名なもので、斎藤利政(道三)によって土岐氏が美濃を追われても、一芸に秀でた頼芸は生き延び、江戸時代には子孫が幕府の旗本に取り立てられて「土岐の鷹」を継承していきました。この記事では「桔梗」の紋と共に土岐一族の代名詞になっている「土岐の鷹」について簡単に紹介していきます。
土岐の鷹
土岐一族と土岐の鷹
美濃国で守護の地位にあった土岐氏一族は武家でありながら代々、和歌・連歌・漢詩・猿楽・絵画などの文化文芸に造詣を深めていました。
このため、土岐一族からは幾つもの書画を書き残す人物が輩出され、特に一族が好んで描いた鷹の絵は「土岐の鷹」として代々伝えられていきました。
土岐一族の中で「土岐の鷹」を得意とした者には、土岐頼忠、土岐頼芸(富景、洞文?)、土岐頼高が挙げられ、全員が武人画家として評価されています。
①土岐頼忠(1323~1397)
土岐頼忠は南北朝時代から室町時代の人物で、足利義満によって美濃守護に任じられ、雅号を『衲正』と称しました。
頼忠が描いた土岐の鷹、「蒼鷹の図」は雅号である「衲正筆」の文字が光によって浮かび上がる隠し落款となっている大変珍しいものです。
②土岐頼芸(1502~1582)
大河ドラマ「麒麟がくる」に登場する土岐頼芸は戦国時代、斎藤道三によって美濃を追われ、のちに織田家臣となっていた稲葉一鉄によって保護されました。
一族の中で特に秀でていたとされる頼芸の描いた鷹の絵は珍重され、土岐頼芸の名が「土岐の鷹」の代名詞のようになっています。
また、土岐氏系図上で確認できませんが、同時期に鷹の絵を得意とした一族の画家・土岐冨景、土岐洞文は、頼芸と同一人物と推定されています。
頼芸作としては瑞浪市の開元院所蔵の「鷹の図」、千葉県夷隅町郷土博物館所蔵の「鷹の図」が残っています。
さらに同一人物とされる富景作として「鷹の図」も東京国立博物館に所蔵されています。
左から開元院所蔵、千葉県所蔵、国立博物館所蔵
③土岐頼高(?~?)
②の土岐頼芸は嫡男の頼栄を廃嫡して土岐氏の後継者に次男の頼次を選びました。頼次はその後、豊臣秀吉に馬廻として仕えたあと、さらに徳川家康に仕えて関ヶ原の戦いに従軍し、徳川幕府が開かれると旗本になりました。
土岐頼高は頼次の次男として生まれ、尾張藩徳川家に仕えて「鷹の図」を残しました。
これまで土岐一族が描いてきた「土岐の鷹」とは全く画風が異なり、鷹の表情が穏やかになっていると感じるのは戦のなくなった江戸時代の時代背景が影響していると考えられます。
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