大河ドラマ麒麟がくる
織田信光(木下ほうか)
大河ドラマ麒麟がくるで、木下ほうかが演じるのが織田一門の織田信光という人物。織田信光は尾張の雄・織田信秀の弟であり、のちに信秀の後を継いだ甥・信長の「尾張統一」に協力し、重要な局面で謀略を用いて活躍を見せた頼れる叔父さんです。
織田信光の生涯については謎が多く、様々な説がありますが、この記事ではそれらの説も含めて「織田信光」の生涯を簡単に紹介していきます。
「寧々」での木下ほうか(足利義昭役)
出典:https://www.tv-tokyo.co.jp/
織田信光(1516~1556)
尾張の守護代・織田氏は清須城を拠点にして尾張下四郡を支配する「織田大和守家(以下、大和守家)」と、岩倉城を拠点にして尾張の上四郡を支配する「織田伊勢守家(以下、伊勢守家)」がありました。
織田信光は永正13年(1516)に「大和守家」を支える『清洲三奉行』の一つ、織田氏庶流の「織田弾正忠家(以下、弾正忠家)」の当主・織田信定の子として生まれました。
長兄には信長の父となる信秀、次兄には井ノ口の戦い(加納口ノ戦い)で戦死した信康がいます。
出典:https://tomhan090.exblog.jp/
兄・信秀が「弾正忠家」の当主であった頃の信光の立場にはさまざまな説があり、その内容は全く異なるものとなっています。
まず、信秀に従っていたとされる説では、信光は信秀と今川氏が西三河の覇権をかけて戦った「小豆坂の戦い」に出陣し、『小豆坂七本槍』の一人として名を馳せるほどの武功を残したといいます。
一方、信秀と反目していたという説では、信光は三河への侵攻を目論む信秀と争っていた松平清康(家康の祖父)に協力し、清康を居城・守山城(森山城)に呼び寄せたとされます。
しかし、この清康は守山城(森山城)に来た際に自分の家臣のによって討たれてしまい(森山崩れ)、結果的に信秀が三河への侵攻を強めるきっかけとなりました。
信光の妻は、清康の叔父・松平信定の娘であり、松平宗家の乗っ取りを企んでいた松平信定は信秀と連携しようとしていました。
このことから「信光は信秀とは反目していたが、義父の松平信定が計画した森山崩れには協力した」とも考えられますし、「実は信秀に従っていて、松平信定と縁を結んでいた信光が森山崩れを仕掛けた」とも受け取れます。
いずれにせよ謎が多い信光ですが、信秀の死後は家督を継承した甥・信長を支持し、今川勢との戦いなどで活躍しました。
こののち、信長は信秀の代から敵対してきた「大和守家」の織田彦五郎信友を追い詰め、尾張統一に邁進していきます。
そして信光は、天文24年(1555)に「大和守家」当主・織田彦五郎信友の重臣・坂井大膳から「信長を裏切る」ように誘いを受けた際、これに応じるフリをして清洲城に入り、織田彦五郎信友を謀殺して清洲城を奪いました。
その後、信光は信長に清洲城を渡し、信長より譲られた那古屋城に入りましたが、翌年、妻と関係を持っていた家臣によって殺害されてしまったといいます。
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