歴代天皇
【第15代】応神天皇
応神天皇
諡号:誉田天皇(ほむたのすめらみこと)
生没:201年~310年
在位:270年~310年
父:仲哀天皇
母:氣長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后
(第4皇子)
応神天皇は、ほぼ確実に実在したであろうと見なされている最古の天皇である。
神功皇后が三韓出兵の帰路、宇瀰(うみ)で産んだというが、これは後世の創作であるとされていて実際の父母は明らかになっていない。
応神天皇を埋葬したと伝えられる誉田山古墳が大阪府羽曳野市誉田にあることから、応神天皇を「河内王朝」の初代を見なす有力な説がある。
このことから、崇神天皇から始まった大和王権が応神天皇のころに現在の大阪府を中心とした「河内王朝」と交替し、天皇の血脈も変わった可能性が指摘されている。
この応神天皇の時代、千字文と論語を伝えたとされる王仁(わに)をはじめとして、百済から数多くの渡来人が日本に文化を伝えたため農耕の著しく発展したとされる。
また、秦氏の先祖にあたる弓月君は民を率いての日本への帰化を望んでいたが新羅の妨害によって叶わず、弓月君の民は加羅が引き受けていた。
しかし、三年が経過しても弓月君の民は日本に来れなかったため、応神天皇は渡来を実現させようと精鋭部隊を加羅に派遣して新羅を脅かした。
これにより無事に弓月君の民が渡来したという。
時代が下ると応神天皇は誉田別命(ほんだわけのみこと)として八幡信仰の祭神とされ、武神として主に武士に崇められ、戦後は文武両道の馴染み深い神様となった。
なぜ応神天皇が八幡神として信仰されるようになったのかは分かっていないが、平安時代後期に成立した仏教を中心とした歴史書「扶桑略記」によると、欽明天皇の時代(539年~571年)に八幡神が現れたという。
豊前国宇佐郡の厩峰の麓の菱潟池のほとりに、容姿奇怪な鍛冶の翁が住んでいた。
その翁が金色の鷹や鳩に変化するのを見たこの土地の神主・大神比義(おおがなみよし)は翁に仕えることになり、3年後に「もし神ならば私の前に姿を現して下さい」と祈ると、翁は3歳の子供に化けて竹の葉の上に立ち「われは15代の応神天皇であり、護国霊験威身神大自在王菩薩なり」と名乗った。
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